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青森県 大間町 下北郡 - 陸奥国
大間稲荷神社 -
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旧村社
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マグロの町・大間の海を護る神社。
 
「大間のマグロ」で有名な青森県・下北半島の北端、ということは本州最北端でもある大間町。その中心部にある神社。

所在

下北郡大間町大字大間

創建

1730年(享保15年)

祭神

稲荷大名神
天妃媽祖大権現、金毘羅大権現、弁才天
水神として祀っている「天妃」はもともと道教の女神で、中国・東南アジアの海岸地域で信仰を集めているが、日本ではこれを祭祀する神社というのは珍しく、東北地方では唯一だという。
大間稲荷神社の由来

百滝稲荷大明神と称し、倉稲魂命を祭神とし八月十日を例祭日とする。
享保十五年(一七三〇)七月 能登屋市左衛門が勧請 
神輿渡御の始りは寛政九年(一七九七)で荘厳を極めたと伝えられる。
明治六年(一八七三)天妃媽祖大権現、金毘羅大権現を合祀、現在は弁天神(奥津島姫尊)も合祀している。
明治十六年(一八八三)現在地に移転、再建。明治四十一(一九〇八)屋根の形を改修 現在に至っている。
天妃の神は中国の道教の神で、元禄九年(一六九七)七月二十三日、後に名主(村長)となった伊藤五左衛門が海上での危難を助けられた神徳を崇め水戸領那珂湊より遷座したもので、船魂神として氏子の崇敬を集めて来たものである。
 
 『新撰陸奥国誌』によれば、大間稲荷神社は江戸時代中期の享保15年(1730年)に能登屋市左衛門なる人物が勧請したもので、「百滝稲荷」「百々滝稲荷」あるいは単に「稲荷宮」と呼ばれていた。(資料によってばらつきが・・・)

 江戸時代の旅行家・文筆家の菅江真澄は『牧の朝露』(寛政5年=1793年)のなかで次のように詠んでいる。
 おほまの浦におましまし給ふ百々いなりというかんやしろ、天妃の祠の辺に建るに、こたび、みくらゐ給りしよしを聞

 このうち「天妃」というのは中国の道教の女神で、日本国内で祀られるのは珍しいそうだ。もともとは別の神社(天妃権現)だったのが、明治時代に天妃神社となったあと、この稲荷神社に合祀されたもの。菅江真澄は『天妃縁起』を著して奉納したという記録もある。
 天妃(天妃媽祖)は、中国や東南アジアの海岸を中心に信仰がある航海の女神様である。宋の時代(960-1279年)に、ある娘が16歳で開眼して神通力を使うようになった。ところが彼女が大人になると、父親が海の事故で行方不明になった。彼女は父を探すたびに出たが、やがて仙人に出会い、神となったという。中国本土は文化大革命によってこの手の話は迷信として撲滅されたが、香港や澳門、台湾では熱心に信仰されているそうだ。

 日本ではあまり例がないものの、中国に近い沖縄や鹿児島県南部では昔から天妃を祀るところがあるという。

 それがなぜこんな本州の地の果てで祀られているのか。元禄時代に大間出身の船頭、伊藤五左衛門(あるいは吾左衛門)という人物がいて、海上で時化に襲われたときに、越前出身の舵取りが天妃神を知っていて、天妃に祈願したところ奇跡的に助かったのだという。伊藤五左衛門はのちに大間に帰郷して名主となり、天妃を祀った。

 茨城県(旧水戸藩)では、あの徳川光圀が清国から伝えられた天妃像を祀っていた。大間の伊藤五左衛門が祀った天妃権現も水戸藩那珂湊から勧請したものだという。

 その遷座の日が元禄9年(1697年)7月23日と伝わっており、3月23日・7月23日・8月23日が天妃祭となっている。現在は海の日(7月第三水曜日)に天妃祭りの一環として「天妃様行列」が行われている。

 なお、日本では航海の女神といえば弟橘媛(おとたちばな)がいる。弟橘媛はヤマトタケルノミコトの奥さんで、ヤマトタケルノミコトが関東地方を征伐しにきたときに海が荒れたので、自らを生贄として海に飛び込み、荒海を鎮めたという姫である。これは東京湾を横須賀から千葉へ渡るときの出来事だったとされていて、弟橘媛が身につけていた品が漂着したという橘郡(神奈川県の川崎から横浜の内陸)や、ヤマトタケルノミコトが妻の死を嘆いたという千葉の君津・木更津などに地名が残っている。

 水戸光圀は、この弟橘媛と一緒に天妃を祀り、それによって混淆も起きたそうだ。

  
▲本場の天妃像。
▲横浜中華街の媽祖廟
▲本場の天妃宮の行列。
▲青森・ねぷた祭りの天妃のねぷた。



 これはその伊藤五左衛門の顕彰碑。元禄9年(1696年)7月23日に、水戸の那珂湊から「天妃船霊」を勧請したとある。この伊藤氏については、資料によって名前のばらつきがあり、「五左衛門」「吾左衛門」「五左右衛門」などと書かれている。

 白墨がさしてあったのだろうが、消え失せて読み難くなっている。それでいてピカピカなので、真正面から撮ると自分が映り込むし、困ったものだ。

 ほかにも江戸時代の大間には、勢至堂や弁財天堂があったというが、これらが明治15年(1882年)に合祀され、明治16年(1883年)に今の場所に遷座した。



いちおう、神社の本流は「稲荷神社」の側にあるので、創建は稲荷社が興された享保15年(1730年)というのが公式だが、天妃社のほうがそれより34年早かった、ということになる。

いずれにせよ、すぐ平安時代とか言い出す内地の神社が多い中では、新参の部類といえるのではないか。ここから海峡を渡って北海道に行くと、明治以降に建立された神社ばかりなので、それと比べるとじゅうぶんな古さなのだが。

鳥居は真新しい。ピカピカ。





狛犬はそれなりに年季が入っています。

たぶん「明治38年」。






社殿の彫刻類は、内地のスタンダードからすれば簡素だろうし、北海道のスタンダードからすると非常に手の込んだもの、という感じ。

この大間稲荷神社は「本州最北端の町」大間町の中心地にあるのだが、本当の本州最北端の地はここから2キロほど北に行った大間崎という岬である。そこには小さな神社があって、そこが「本州最北の神社」ということになり、この大間稲荷神社は「本州で2番めに北」ということになる。なお、大間崎の600メートルほど沖合に弁天島という無人島があって、そこに弁天社があるので、陸続きの本州ではないが、青森県ではそこが一番北のお社である。ただし渡し船とかは無いので、お参りしたければ泳ぐしかない。ただしそこは「極めて流れが速い」とされる津軽海峡のクキド瀬戸という潮流なので、どうなっても知らない。

 大間には、極めて短命だった「斗南藩」という藩があった。斗南藩の成立は明治3年(1870年)、その翌年の明治4年(1871)年7月に廃藩置県があって斗南藩は消滅し、「弘前県」の一部に組み込まれた。

 この斗南藩というのは、実は戊辰戦争で官軍にボコボコにされた会津藩の生まれ変わりである。「朝敵」となってしまった会津藩は、長州兵を中心とする「官軍」にめちゃくちゃに蹂躙された。有名な話だが、今でも会津では山口県出身者との結婚を認めない、という話さえある。どうしてでしょう、会津藩主松平容保だって、天皇からの勅書をもらって、その通りに行動していたはずなのに・・・。

 この戦争のあと会津藩はお取り潰しになった。しかし、旧臣の懸命な嘆願により、数年後に会津松平家の復興が認められた。ただし、場所は23万石の会津ではなく、日本の北の果て、大間である。石高はわずかに3万。これが斗南藩である。

 旧会津藩士は明治3年(1870年)の早春に、斗南への移住を始めた。「春」と言ったって東北である。雪は降るし、朝敵だった連中を泊めてくれる宿もない。この最果てへの旅路の途中で、数多くの死者を出したという。

 しかし本当の苦しみは移住後にあった。まともな農耕もままならず、海藻の根を食べたり、松の木の皮を食べたりする生活をしながら冬を迎え、冬の間に飢えと栄養不足でさらに多くの死者を出した。一応、最低限のコメは支給されるということになっていたのだが、ようやく年が明けて明治4年になってみれば廃藩置県で斗南藩は消滅、それで約束されていた扶持米も途絶えた。会津から移ってきたものは2800戸だったというが、数年後には50戸になっていたという。絶対に許さない。


【青森県神社庁誌データ】

名称 稲荷神社 No

 

所在 青森県下北郡大間町大字大間字大間91-1 TEL 0175-37-4101
FAX
例祭日 3月23日、7月23日、8月23日
社格 村社
祭神 稲荷大明神
交通 下北交通バス「大間」停留所から徒歩3分
社殿
境内     
氏子世帯 崇敬者数 
摂末社
備考 


西暦 元号 和暦 事項 備考
             
             
1697 元禄 9 7 23 大間の名主、伊藤五左衛門が水戸藩那珂湊から天妃権現を勧請。  
             
1730 享保 15     能登屋市左衛門が百滝稲荷社を勧請。   
             
1793 寛政 5     菅江真澄が『牧の朝露』のなかで百滝稲荷、天妃権現を紹介。
『天妃縁起』を著し奉納。 
 
1797 寛政 9     稲荷社の神輿渡御がはじまる。  
             
             
             
1873 明治 6   拝殿を修繕。  
〃  5 23 村社に列格。  
             
1883 15     稲荷神社に天妃神社や弁財天、金毘羅社を合祀。  
1884 〃  16     稲荷神社が現在地へ遷座。  
             
             
1908 41     社殿の屋根を改装。  
1924 大正 13 6 13 神饌幣帛料供進神社。  
             
1946 昭和 21 6 14 宗教法人化。  
             
             


【参考資料】
『青森県の地名』(平凡社、1982)
 『日本地名大辞典 2 青森県』(角川書店、1985)
『青森県の歴史散歩』(山川出版社、2007)


【リンク】
*神社探訪 狛犬見聞録・注連縄の豆知識(大間稲荷神社)
*青森県神社庁(稲荷神社)
*

参拝日:2013年05月03日
追加日:2015年01月14日