みたいな怖い話があってもおかしくない雰囲気
と、いうことで、案内に従うと、祀られているのは「五代目守屋辰次郎」なる個人である。 「守屋辰次郎」というのは、あの(死人が出ることで有名な祭りをやる)有名な信濃国の諏訪大社の神職が襲名する名跡だそうだ。ちなみに、諏訪大社の本宮があるのは「守屋山」という。 その守屋辰次郎が、応徳元年(1084年)に、何を思ったのか知らないが、僅かな伴を引き連れて当地へ移り住んできたのだという。守屋辰次郎は諏訪大明神の御幣を運んできており、ここに土着して山を切り開き、集落の開祖となった。三代目守屋辰次郎のときに「池島」の地に宅を移し、それがここだともいう。 1084年というのはいわゆる源平合戦よりも100年前の時代で、ちょうど奥州では後三年の役をやって藤原清衡が秋田の清原氏を討ち果たしていた頃である。いったい諏訪ではどんな事情があったのだろう。
この岩盤層の「秩父帯」と「領家帯」という名前だけれども、「秩父」のほうは埼玉の秩父に由来する、というのは大方予想がつくと思う。 「領家」というのは、実はこのあたりの地名なのだ。 建武の新政というのを覚えているだろうか。後醍醐天皇が挙兵し、これに足利尊氏や新田義貞が呼応して鎌倉幕府を滅ぼしたやつだ。このとき、後醍醐天皇自身は隠岐島に流されていたので、その息子である皇子たちが軍を率いた。のちに天皇方と足利尊氏とが袂を分かって争うようになると、皇子たちは全国に散って戦った。 その中の一人が宗良親王である。宗良親王は初め、大河ドラマで有名になった井伊谷に滞在して地場の武士を味方につけた。しかし足利軍に攻撃されて井伊谷が滅ぼされると、秋葉街道を伝って山中に逃れた。そして山奥に拠点をつくり、東海地方から信濃、甲斐の武将をしたがえて足利軍と戦った。 このときの宗良親王の直轄地を「領家」と言った。やがて天皇方が衰えると、この領地は在郷の武士と天皇方とのあいだで分割され(下地中分)、それ以降は山奥側の天皇方の領地を「奥領家」とも称した。これは地名として固定化され、天皇方がいなくなったあともそのままその地域は「領家」とか「奥領家」と呼ばれた。 いまの水窪の中心地には「大里」や「小畑」という地名があるが、これはもともと「内裏」「御旗」という地名だった。親王がいなくなったあと、畏れ多いということで「内裏」を「大里」、「御旗」を「小畑」と字を変えて書き表すようになったのだという。 さて、この領家帯と秩父帯の境の破砕帯に通じる秋葉街道は、いまは国道152号線として整備されている。太平洋側の浜松と諏訪を結ぶ重要な幹線道路だ。 だがしかし全通していない。
その代わりと言ってはなんだが、武田信玄公も通った徒歩による青崩峠越えの道は拓かれている。
というわけでここが青崩峠だ。標高1082.5メートル地点。 登り始めからの標高差は150メートルほど。水平距離は400メートルほどだ。 こう数字で書いちゃうと、なんだかなんでもない距離のように思えますよね。 だけど、水平距離400メートル、標高差150メートルというのは、40階建てのビルの目の前に立って、400メートル下がり、そこからビルの屋上まで直線で登っていくのを想像してもらえれば、どれだけしんどいかわかる。 この鞍部こそ、青崩峠である。この斜面の向こうに駆け下りれば、そこは信州なのだ。駆け下りた後まだ登ってこないといけないので、駆け下りないけどね。 というわけで、足神神社を訪れるならばぜひ、青崩峠を登ってみるべきだ。そうすれば、そりゃあ脚ぐらい痛くなるべさ、って実感できるだろう。この峠下で足を治癒してくれる人がいたら神様だと思っちゃうだろう。 明治時代までは、青崩峠は静岡県と長野県を短絡する重要な交通路であり、そのために青崩峠の坂下には集落が形成されていたそうだ。 その集落は「辰之戸」(たつんど)集落という。「辰」というのはきっと守屋辰次郎の名前から来ているのだろう。今はもう無人となっている。 このように、集落跡地にスギが伸びているから、集落が消滅してから結構な歳月が過ぎているはずだ、すぎだけに。 というわけでこの足神神社、いわゆる伝統的な神道の神様を祀った正統的な神社ではない。 にも関わらず、「足の病にご利益がある」ということで全国的な知名度があるそうで、オリンピック選手のマラソン選手みたいな人たちも参拝するのだという。いや、そのクラスになると、もうそれ、「足の病」じゃなくね?普通に故障でしょ、って思うけどね。 浜松市役所のHPによると、いまでも「守屋さん」の現当主がいて、神主をやっているそうだ。となると、移り住んできてからざっと1000年ということになるね。すごい。41代続いているとか。 【静岡県神社庁データ】
【参考資料】 『静岡大百科事典』(静岡新聞社出版局、1978) 『静岡県地名辞典』(角川書店、1984) 『日本歴史地名大系 静岡県の地名』(平凡社、1995) 【リンク】 *足神神社(浜名湖国際頭脳センター・浜松情報BOOK) *足神神社の湧き水(浜松市役所HP) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
参拝日:2013年06月03日 |