上室田 |
高崎から長野へ向かう大戸街道と、榛名神社を目指す榛名街道の分岐となる宿場。 |
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寺の伝えでは、戦国時代真っ最中に、斎藤三左衛門なる人物がこの榛名山の裾野を開墾し、住み着いたという。活火山である榛名山の裾野は分厚い火山灰地で、水はけが良すぎて表土に水が乏しく、農耕に向かない。だから遠くの川から榛名山の斜面を横断して水路を引いてきて、水を確保しなければいけない。大変なのだ。だから林業の村だった。
そして1572年(元亀3年)に斉藤三左衛門がこの寺を建立した。1571年(元亀2年)には武田信玄が岩櫃城に入城し、年末から1572年(元亀3年)春にかけて、利根川と吾妻川の合流地点にある白井城をめぐって上杉謙信と対峙していた時期。
このあたりで「斎藤」というと、真田幸隆に滅ぼされた岩櫃城の斎藤氏かなと思うがどうだろう。斎藤氏は1565年(永禄6年)に岩櫃城の隣、嵩山城を攻め落とされ、一族は自害して滅亡したことになっているのだが・・・。本当に一族かどうかは確認しようもないが、斎藤家の敗残兵が落ち延びてきて「斎藤」を名乗ったということはあるのかも。いずれにせよ、この済度では斉藤家が代々上室田村の名主を務めたそうだ。
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無量院は「済度山茂林寺」といい、寺を建立した斉藤三左衛門は、没後「茂林居士」という戒名をもらっている。上野国で「茂林寺」というと、館林にある茂林寺が有名。「ぶんぶく茶釜」ゆかりの寺なんだそうだ。
開山は行蔵という僧である。
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西暦 |
元号 |
和暦 |
月 |
日 |
事項 |
備考 |
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1572 |
元亀 |
3 |
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済度地区を開拓した斎藤三左衛門(茂林居士)による開基 |
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1909 |
明治 |
42 |
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下室田の松仙寺を合併する。 |
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