というわけで、笹川流れの海と岩船の海の幸を楽しんだ後、石船神社に立ち寄った。 ![]() 三面川の南を流れる「石川」という川があり、その河口に石船神社がある。 合併によって村上市が誕生する前までは、ここが岩船郡岩船町だったことからも、 かつてはここが地域の中心地であったことがわかる。
![]() ▲「磐舟柵」跡の石碑。 さらっと「大化四年」とか書いちゃってるけど、いわゆる大化の改新があった頃だ。饒速日命は物部氏の祖先神というが、物部氏は大化の改新のときに討たれた蘇我氏とは敵対関係にあった豪族だし、仏教推しの蘇我氏と神道推しの物部氏の対立がひとまずは物部氏側の勝利におわったことと、その時期にここにこれが祀られたことも何か関係があるのだろうか。 この時代は、大和朝廷が東国の蝦夷を征服していった時期で、朝廷軍は日本海側方面を進撃していった。この前年(647年)には、新潟の南部に「渟足柵(ぬたりのさく)」を確保しており、1年で勢力範囲を75kmほど北へ拡げたことになる。 『日本書紀』にこの記録があり、荒川と三面川の中間地点に「磐舟柵」(柵は、いまでいう城砦的な拠点)を設置し、越国と信濃国に護らせたのだという。その後の磐舟柵についての記録は僅かで、よくわかっていないのだが、和銅2年(708年)には秋田に「出羽柵」が築かれたと記録があるので、60年ほどの間に180km北へ支配地が拡がったということになる。 直接のルーツは京都の貴船神社とのことだ。 ![]() ![]() ![]() 子どもを抱えた狛犬。 ![]() こちらは鞠を抱えている。 ![]() こちらには「屠龍会」とある。 なんだかわからないがかっこいい。 ![]() ![]() この頃はまだ、そこまで神社に深い関心を持っていなかったので、 ぶっちゃけ大した写真を撮っていない。 【新潟県神社庁データ】
【参考資料】 【リンク】 *公式サイト *玄松子の記憶(石船神社) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
参拝日:2008年07月02日 |