ぶっちゃけ、山梨県には「信玄公の隠し湯」という温泉地が無数にある。大雑把に言ってしまえば全部の温泉が信玄公の隠し湯だと言ってもいいくらいだ。だから、初めて山梨県の温泉に行ったときは「おお、ここが武田信玄の隠し湯か」と感じ入るが、そのうち「全部隠し湯じゃん」になる。だがこの下部温泉は、まさに「信玄公の隠し湯」感がすごい。 ![]() 下部温泉の源泉は湯温が30度ほどしかない。それを沸かさずに使用する。普通のお風呂は39度から42度ぐらい、43度とかになると熱くて入るのがしんどいレベルだから、30度というと入った瞬間は「水風呂!」という感じだ。だが考えてみれば、気温30度だと暑いだろう。 30度の湯船は、入った瞬間は水かと思うぐらい冷たく感じるのだが、そこに1時間、2時間、3時間と浸かりっぱなしで入ると、死ぬほど汗がでるのだ。ぽかぽかである。 理屈で言うと、体温は36度前後だから、30度はやっぱり冷たいのである。このぽかぽかは、体温より低い湯に浸かることで、体が「発熱しないとやべえ」ってことで熱を発生させることによって生じる。つまり体内のエナジーを燃やして熱量を発生させているのだ。そうやって長湯をすることで傷を癒やす湯治向きの温泉である。
下部温泉の発祥には異伝があり、平安時代に当時の甲斐国主・藤原正信の夢枕に熊野権現が現れ、温泉を見出したという言い伝えがある。伝承によって、その時期は天長7年(830年)だとか、承和3年(836年)だとか、差異がある。下部温泉には武田信玄からの公認状が現存しており、川中島の合戦での負傷者が数多く湯治をしたとも伝えられている。 ![]() その温泉街に派手な鳥居がある。なんだかいかがわしい、胡散臭い、温泉地によくある性器を模った下品な社の類かと一瞬思ってしまうイメージだったが、あらためてこの写真をよくよく見てみると、その胡散臭さを醸し出している派手な原色の色使いの責任は背後の幟旗にあり、鳥居そのものはそこまで酷いものではない、と今気がついた。 この細い路地の先に熊野神社がある。
いささか胡散臭い感じの鳥居をくぐって路地をゆくと、まもなく石段と両部鳥居がみえてくる。 ![]() 石段を登ると、さらに数多くの石段があり、小高い丘に登っていくことになる。 ![]() 登っては横移動、登っては横移動を繰り返すと ![]() 社殿がみえてくる。 ![]() ![]() ![]() 落書きが・・・ ![]() 神楽殿。
いやいやいやいやいや、山本様じゃねーし と思ったら、これは「山本勘助の間」のお客様が到着です、という意味だった。ふつう、客室は「306号室」とか番号制になっているか、さもなくば「百合の間」とか「秩父の間」のように花鳥風月や地元の名勝から命名されているのが普通だ。だがここでは武田二十四将の名前が部屋名なのである。これは面白いし、「山本勘助の間」とか「高坂弾正の間」とか「山県昌景の間」とかだとちょっと嬉しいのではなかろうか。そう思ったが、もしも自分が「穴山信君の間」とかに案内された場合には、ちょっと凹むのではないだろうか。裏切り者かぁ、と。 【長野県神社庁データ】
【参考資料】 ![]() ![]() 【リンク】 *山梨が大好き!(熊野神社) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
参拝日:2005年08月01日 |