これらの地名の由来を説明するものとして、大きく分けると2つの伝承がある。1つは天武天皇の時代に鬼無里に遷都の計画があったというもの、もう1つは平安時代に紅葉という女性が京都から落ち延びてきたというものである。 信濃国への遷都の計画自体は『日本書紀』などに基づく「史実」である。天皇の後継者争いによって発生した壬申の乱では、戦争の序盤で不利だった大海人皇子が信濃の兵の助力を得て逆転勝利を果たし、天武天皇として即位した。即位後、天武天皇は信濃への遷都を計画し、三野王を派遣して候補地の選定や測量を行わせた。伝承では、それが鬼無里だった、とされている。 紅葉伝説は能の『紅葉狩』によって有名になった伝承である。地方に生まれた「紅葉」という女性が、聡明さと美貌、そして神通力をかわれて都に召し出され、殿上人の愛妾となる。ところが正室がこれを妬み、紅葉を罠にはめて地方へ配流される。配流先が鬼無里である。ところが紅葉はその時すでに身ごもっており、配流された先で男子を産む。紅葉は地元の人々の崇敬を集めるようになるが、京都では将来の後継者争いに禍根を残すとして、信州の紅葉母子を討伐するように命令が発せられ、平維茂という大将が派遣されてくる。平維茂は初め敗走するが、塩田平の温泉で傷を癒やし、魔剣を手に入れて紅葉を討ち果たすのである。 そんなわけで、鬼無里の奥地には京都にちなむ地名が多く残る。地元では「谷の京」と呼んでいる。 こちらは馬頭観音。「昭和63年」とあるが、その頃までウマが実用馬としていたのだろうか。 「西京」の春日神社のすぐ近くに「加茂神社入口」の石がある。 だがちょっと待ってほしい。 ここが「入口」であることには嘘偽りないのだが、 ここが加茂神社に近いとは言っていない。 ここから こういう山道を頑張って登っていかなければいけない。 眼下に道が見える。あのあたりに春日神社があり、先程の「入口」があるのだ。 地名こそ「京」「二条」とかだが、地形は全然そういう感じじゃない。 このあたりが「二条」。そしてこれが参道。バス停もあるぞ! これが加茂神社。 写真ではちょっと見えにくいが、「村社 加茂神社」とある。
鳥居。 春日神社の鳥居は石製だったが、こちらは木製。 石製のほうがお高いのだろうけど、 木製のほうが風情があると思うのだ。 社殿。 神楽殿。 蔵。 狛犬の顔はなんかホラーだ。 元禄10年(1697年)の史料では「かもノ宮」、万延2年(1861年)の史料では「加茂宮」とある。 明治15年(1882年)の『鬼無里村神社調』に拠ると、この「加茂社」の祭神は別御雷神と玉依姫命となっている。別御雷神はタケミカヅチであるから今と同じだが、玉依姫命(タマヨリビメ)は今の祭神とは違う。ただし「タマヨリビメ」というのは「神霊の依代となる女性」=巫女を意味する語でもあり、特定の女性神を指すというわけではない。何事もきっちりしていた明治時代には、不特定ではあかんということになって、後に信濃の祖神である天恩兼命にとってかわったのかもしれない。 諏訪神である建御名方は、明治の終わり頃に裾花川沿いの奥地である川浦にあった無格社の諏訪神社を合祀したときに祀られるようになったもの。 東の京の二条、といえども、近年の過疎化の魔の手は如何ともしがたい。 茅葺屋根に草が生えすぎだと思う。 かっこいいけど。 さて、加茂神社の参道の両側に生えているこの草、これがなんだかお分かりだろうか。 実は私もこれがなんだかわからず、 ジロジロ眺めていたところ、通りがかりのおばあちゃんに教えてもらったのだ。 誰もが知っているものだが、 この状態を知っている人は少ないのではないかと思う。 長野のような寒暖の差が大きく、この山間のように日照時間が短く、 この高台のように水が乏しいところでうってつけの商品作物だ。 これが花。 畑の後ろにはこんな木組みが。ここで収穫したブツを干すのだ。 これが葉。 実はこの葉が作物である。 でもこの写真ではこの葉の大きさがよくわからないだろうと思う。 こんな感じ。 かなり大きいということがお分かりだろうか! ヒマワリなんかよりずっと大きいのだ。 もちろん、背丈も普通の大人と同じかそれ以上ある。 実はこれ、タバコである。 この葉を干して発酵させて刻んだのがタバコなのだ。 タバコはこういう貧しい畑作地の絶好の作物なのだ。 かつて昔は繊維目的で麻を作っていて、 実は鬼無里は麻の名産地だった。 ここで取れた麻を、冬の冷たい水にさらして編むことでとても強い麻紐になる。 これが名高い鬼無里の「氷糸」である。 しかし明治時代になると、 外国へ輸出するために絹の生産が奨励され、 ここでも桑を栽培して蚕を育て、絹を生産するようになったそうだ。 ところが戦後は化学繊維によって絹が売れなくなり、 麻も大麻とかの兼ね合いで戦後に禁止になってしまった。 そこで今はタバコを作っている、ということだ。 【長野県神社庁データ】
【参考資料】 『鬼無里村史』(鬼無里村、1967) 『県史20 長野県の歴史』(山川出版社、1997、2010) 『長野県 地学のガイド』(コロナ社、1979、2001) 『長野県百科事典』(信濃毎日新聞社、1974、1981) 『長野県の歴史散歩』(山川出版社、2006、2011) 『長野の大地見どころ100選』(ほおずき書籍、2004) 『長野県の山』(山と渓谷社、2010、2015) 『長野県地名辞典』(角川書店、1990) 『見る知る信州の自然大百科』(郷土出版社、1997) 『信濃の橋百選』(信濃毎日新聞社、2011) 【リンク】 *長野県神社庁(加茂神社) *おみやさんcom(加茂神社) * | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
参拝日:2009年07月15日 |