▲別所温泉へは、新幹線「上田」駅から上田電鉄に乗り換える。 「信州の鎌倉」と呼ばれる別所温泉。 その温泉街をゆく。 ここは番所跡。 小さな祠と馬頭観音があったが、ひとまず割愛。 しばらくいくと、このようなところに行き当たる。 石柱には「北向観世音参道」とある。 「観音(観音菩薩)」と「観世音(観世音菩薩)」は何が違うのだろうと思って調べてみたが、同じらしい。「観世音」のほうが「ゼノン(XENON)」という音が入る分だけかっこいい。厨二っぽい。 とおもったら「かんぜおん」と読むらしい。 さて、このように「参道」と指示があるところから侵入したのだが 進むと、なんだか裏口チックなところに。 おまけになにかの下的なところを屈んで通ることになる。 そして境内へ。
慈覚大師というのは、円仁(794-864年)という仏僧である。円仁は下野国(いまの栃木県)壬生の生まれで、古代のいわゆる毛野国の末裔だ。その円仁は15歳で比叡山延暦寺で最澄に弟子入りし、21歳の時点では、弟子の中で最良の者と認められるようになった。その後、東国を巡り歩き、のちに第3代天台座主となった。 というわけで関東地方から東北にかけて、「円仁が開山した」と伝える寺は500を超すという。 手水舎。 温泉地らしく、ここに湧くのは温泉だ。 ちゃんと温泉分析書までついている本気の温泉。 単純硫黄温泉。 湯温は51.3℃。油断して手にぶっかけると、あ、あつつっ、熱い! さて、参道?から入ってきたが、どうも裏口的だったのか? 北向きであることと関係があるのか? よくわからないけれど、 とにかく境内に入ったあと振り向くと、お堂がある。 なかをお参りすると、なにか物騒な感じの絵が。
さて、境内には何気なくでかい木が。
“愛染カツラ”と聞いて何を思い浮かべるだろうか。登山家のドイツ人なら「アイゼン」?
実は“愛染カツラ”というのは、そういう植物名のことではなく、そういうタイトルの有名な小説があるそうだ。それが昭和12年(1937年)の『愛染かつら』。これは読んだことも見たこともないのだが、昔の大映映画(ガメラを作った会社)の重役で、小説家として第1回直木賞を受賞している川口松太郎という人の代表作だそうだ。 この小説は、戦前の四大女性誌の一つ、『婦人倶楽部』という雑誌に連載していた人気小説で、いわゆるメロドラマ。獄門島が昭和21年(1946年)秋の出来事なので、その頃のチャラチャラした女性である月代はなるほど『愛染かつら』を読んでいたのだろう。 で、その小説『愛染かつら』は、この信州上田の別所温泉の北向観音の愛染カツラをモデルにした小説なんだそうだ!げに驚きました。つまりここがその震源地だったとは。 その隣には愛染堂。もちろん愛染明王を祀っている。それぐらいはわかる。 実は、そもそもその愛染カツラの木には特に名前がなく、単に愛染堂の隣のカツラの木だったそうだ。それが、川口松太郎がこの観音を訪れて小説のアイデアを練っていたときに、隣に愛染動があるから「愛染かつら」という名前にしようと決めて小説のタイトルにしたそうだ。それがあまりにも有名になったために(主演田中絹代で映画化もされて大ヒットした)、今では逆にこの木を愛染かつらと呼ぶようになったそうだ。 その小説がどんな話なのかは、読んでいないからわからない!(アマゾンでポチろうかとも思ったが、古本で9600円もしたのでやめた。) 今度はお堂から回り込んで、来た方向とは逆の方へ。 少し行くと裏口のようなものがあり、その脇に ガツンと聳えるお堂が! これは「温泉薬師瑠璃殿」。 ちょっと石碑は読めないが、文献によると、これはもともと行基(668-749年)が建てたものを、慈覚大師円仁が修築したものだという。行基は、聖武天皇のもとで東大寺の大仏造営にも関わった人物だ。しかしそれにしても、話がどんどん古くなる!
そのほか色々な石碑があるが、 要するに数多くの文人がここを訪れたり訪れなかったりで、 ここに関係のある作品を残したり残さなかったりしたということのようだ。 この先へ行くと、境内の外の目の前に茶屋があってひどく誘惑してくるのだが、 ひとまずここは我慢だ。 境内をこれぐらい見て回ればもういいや、って感じだが、 まだ見どころがあるから困る。 余裕のある方は、数回に分けて訪れるほうがいいかもしれないね。 ふたたび境内中央に戻り、
ということで、札所を見物。 ぶっちゃけ数が多くてキリがないので、ちらっとだけ写真を貼るけれど これは仁王像の前に、巡礼者が履いていた草履が大量に括られている。 これなんていうんだっけ? 千人針的な? 「小縣郡室賀村裁縫師土屋キン明?(姜?)中 明治三十一年三月三日」
これもなんか謂れがありそうなすごい絵・・・なのだが、 損耗がはげしくてよくわからない。 ちょっと何が書かれているのかもよくわからん感じだと思うけど、 よーく見ると、 白と黒でいっぱい描かれているのは馬だ。 川を挟んで、すごい数の馬がいる。 そして、所々に名前らしきものが書いてある。 戦国絵巻とかでよく武将の名前がかかれている感じのやつだ。 かろうじて読めるのは、 「王換齋永山書画」かな? でもぐぐってもよくわからなかった。 と、いうわけで、ただしい参道らしき石段を降りる。 参道には土産物屋がずらりと並ぶ。 【長野県神社庁データ】
【参考資料】 『信州の鎌倉―塩田平古寺巡礼』(クリエイティブセンター、1979) 『信州のまほろば 塩田平とその周辺』(令文社、1972) 『信州の鎌倉塩田平の文化と歴史―塩田とその周辺の文化財を探る』(信毎書籍出版センター、1983) 『県史20 長野県の歴史』(山川出版社、1997、2010) 『長野県 地学のガイド』(コロナ社、1979、2001) 『長野県百科事典』(信濃毎日新聞社、1974、1981) 『長野県の歴史散歩』(山川出版社、2006、2011) 『長野の大地見どころ100選』(ほおずき書籍、2004) 『長野県の山』(山と渓谷社、2010、2015) 『長野県地名辞典』(角川書店、1990) 『見る知る信州の自然大百科』(郷土出版社、1997) 『信濃の橋百選』(信濃毎日新聞社、2011) 【リンク】 * | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
参拝日:2009年06月24日 |