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長野県

南牧村

南佐久郡 信濃国
鉄道最高地点神社 -
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八ヶ岳の麓に祀られる鉄道の聖地。

小海線

標高1000mを越える高原地帯を走り、山梨県峡北地方と長野県佐久地方を結ぶJR小海線には、「八ヶ岳高原線」の異称もある。大正時代に建設された頃は、静岡県から新潟県までを結ぶ中部横断の路線の計画もあった。列車は野辺山で日本国内鉄道の最も高所である標高1375メートル地点を通っている。

▲小海線を走るハイブリッド車キハE200形

所在

長野県南佐久郡南牧村野辺山

創建

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祭神

C56、レール
国鉄C56形蒸気機関車は、昭和10年(1935年)に開発された蒸気機関車である。ローカル長距離路線に特化して設計された機関車で、160輛あまりが製造されて日本中の地方路線で活躍した。高原地帯を走る小型蒸気機関車であることから「ポニー」の愛称があった。

 ▲八ヶ岳。撮影地が標高1400mほどある高原なので、見かけ上はそれほど高くは見えない。
 標高2898.2メートルの八ヶ岳は、富士山と日本アルプスの次に高い山だ。いわゆるフォッサマグナのど真ん中にあって、200万年ほどかけて火口が徐々に移動しながら噴火した火山である。その火口はだいたい20キロの長さに渡って線上に連なっていて、数多くの頂きがある。八ヶ岳の「八」は「たくさん」の意味であるともいう。

 それだけ広範囲に並ぶ火口から噴き出した膨大な火山灰が、山の四方に扇状地を形成していて、なだらかな高原になっている。ここにある「清里」は、日本を代表する避暑地としても有名だ。

 この緩斜面は、かつて甲斐(山梨県)と信濃(長野県)の主要部を短絡するルートになっていた。甲斐の小淵沢から八ヶ岳の麓を登っていくと、じきに太平洋と日本海の分水嶺に至る。そこが野辺山である。そこから先は、千曲川の谷に沿って北上すると、佐久で谷が開けて佐久平と呼ばれる盆地に出る。西へ転じ、上田平を経て川中島、そして善光寺平(長野市)に至る。

 このルートは、戦国時代に武田信玄が上杉謙信との決戦地「川中島」に向かう際にも通った道で、途中の「海ノ口」は15歳の武田信玄が初陣で城を落とした地としてよく知られている。この「海ノ口」の隣には「海尻」があり、その先が小海線の名前にもなっている「小海」である。いったいこんな高所で何が「海」なのかとも思うが、古代には千曲川の支流・相木川がこのあたりで閉塞して湖になっていたそうで、諏訪湖を「大海」、こちらを「小海」と呼んでいたのである。

東京から山梨県を経由して長野を目指す中央線は、甲府を出ると釜無川の左岸の段丘を通ってぐんぐん高度を上げていく。小淵沢という駅に着く頃には標高870mに達している。小海線はそこから分かれて八ヶ岳の裾野の急勾配を登っていき、さらに500メートルも高い地点を目指す。そしていよいよ太平洋と日本海の分水嶺に差し掛かると、標高1375メートル地点。そこが日本国内の鉄道の最高地点だ。

この写真では、なんとなく向こうが下っているように見えるだろうか。線路脇の「22」と書かれた標識が斜め下を指しているように、たしかにここは下り坂である。向こう側は小淵沢方面であり、小淵沢から来ると、この踏切まで登ってくるとそこが最高地点、ということになる。

が、駅はここからもう少し先。あなたが乗り鉄と呼ばれる人々ならば、ここからあと2キロほど行ったところにある野辺山駅で降り、徒歩で引き返してこなければいけない。ここが最高地点ということは野辺山駅はそれよりは少し低い場所ということになるから、駅からはここまで上り坂だ。

先程の場所が「最高地点」ならば、こっちは「最高標高の駅」だ。

野辺山駅側からも、線路は「最高標高地点」へ向けてほんの少し登っている。


しばらく高原のハイキングを楽しむと、最高地点の石碑が登場する。



ここはいわゆる鉄オタの人々の聖地になっており、巡礼者も多いのでお店もたくさんある。


私も長野といえば!
ということでおやきを食べる!中身は野沢菜だ!



この場所でおやきを食べ、高原牛乳を飲んで振り返ると、鳥居が見える。

鉄道最高地点神社(鉄道神社)である。
JR鉄道最高地点を旅する人々の道中の安全と地域の反映を祈願して神社を建立しました
この車輪は蒸気機関車「C56」の先頭車輪として小海線を走っていました
御神体としてレールが祀られています
この神社は標高1375メートルに位置して居ることから

 一、三七五米
 ひとみなこうふく

 一、三七五米
 ひとみなごうかく

という縁起の良さ
また 一対の車輪がシンボルとして祀られており夫婦円満 縁結びの神社としても知られています

鉄道最高地点神社
いろいろなものには「鉄道神社」と書かれているし、
私もそういう名前だと思っていたが、
あらためてよくこの石碑を読んでみると「鉄道最高地点神社 」と書いてある。

と、いうことで、このページのタイトルは鉄道最高地点神社としてみた。


この通り社額には「鉄道神社」と書かれているので、
それが社名だと思うのも無理も無いだろうし、
別にどうせ宗教法人として登記しているわけでもないだろうから、
別にどちらの名前でもいいのだけれど。


他人の絵馬を晒すのはあまりマナーが良いものではないが、
「合格祈願」や「夫婦円満」と鉄道がミックスされているのが本当であることを示すために貼ってみた。

小海線はいわゆるローカル線だ。
鉄道の幹線では、輸送量が多いので大型の機関車が通り、しかも頻繁に列車が往来する。大型の動力を積んだ大型の車輌は重く、それがバンバン通るからレールはどんどん摩耗する。だから幹線では、レールは太い鉄でできている。そうすると線路そのものも重くなるから、線路を支える基盤もしっかり作る。
一方、ローカル線は、輸送量が小さく、往来も少ないので、レールの摩耗は少ない。だからレールは細い鉄でできている。そうすると線路そのものは軽くなり、基盤もそれなりでOK。

そんなわけで、都会の幹線で使っていた車輌に最新式が登場して置き換えられ、余剰が発生したからと言って、それをお下がりでローカル線に持ってくることは容易ではない。軽いのを走らせるように作ってあるところに重いのを走らせると、線路が痛むからだ。

だから軽い所用の車輌を使うのだが、軽いということは動力が小さめということであり、馬力がちいさい。ところが、小海線は急勾配なので、馬力がちいさいと困る・・・

ということで、昔の国鉄はいろいろな路線の実情にあわせていろいろ開発していたわけだが、JRになると、むやみに開発費もかけられないということでいろいろあれだ。

しかし、小海線には、超最新型の最新鋭機が導入された。
それがこのキハE200形(写真の右側のやつ)。

左側にみえている白+緑のは、(それでも新しいのだが)キハ110系といって、平成2年(1990年)に投入された新型機だ。その前の型式が国鉄時代の昭和30年代(1960年代)のキハ58系とかなので、キハ100はこれはひさびさの新型機だった。ガンダムで言うとドムをひたすら改修してネオ・ジオン紛争の時代まで生き延びてきた部隊にいきなりドワッジ改が配備された感じ。

しかしそこへ投下されたのが、右側のキハE200形だ。「キハ」の「キ」は気動車と言って、要するにバスみたいにディーゼル燃料をエンジンで燃やして走るディーゼル車であり、バスみたいな音がする。非電化路線なので当たり前だ。それなのに、キハEの「E」は電気のエレクトリックだ。キハE200は、ディーゼルと電力のハイブリッドエンジン搭載なのである。プリウスみたいなものだ。

このキハE200が登場したのが平成19年(2007年)。この写真は2009年に撮ったので、まだ本当に最新鋭試作機だった。ガンダムで言うとゼク・アインぐらいある。かっこいい。

あまりにもかっこいいので、あの新海誠がつくったテレビコマーシャルにも登場したぐらいだ。

これは長野県だけで放映された信濃毎日新聞のCM。新海誠は小海線沿線の出身らしい。



【長野県神社庁データ】
名称 鉄道最高地点神社 No

 

所在 長野県南佐久郡南牧村野辺山 TEL
FAX
例祭日
社格
祭神 レール
C56
交通
社殿
境内     
氏子世帯 崇敬者数 
摂末社
備考 

西暦 元号 和暦 事項 備考
             
     

【参考資料】
『県史20 長野県の歴史』(山川出版社、1997、2010)
『長野県 地学のガイド』(コロナ社、1979、2001)
『長野県百科事典』(信濃毎日新聞社、1974、1981)
『長野県の歴史散歩』(山川出版社、2006、2011)
『長野の大地見どころ100選』(ほおずき書籍、2004)
『長野県の山』(山と渓谷社、2010、2015)
『長野県地名辞典』(角川書店、1990)
『見る知る信州の自然大百科』(郷土出版社、1997)
『信濃の橋百選』(信濃毎日新聞社、2011)

【リンク】
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参拝日:2009年06月23日
追加日:2017年02月26日

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