全国神社仏閣図鑑 TOPページへ戻る
長野県

千曲市

戸倉村 埴科郡 信濃国
水上布奈山みずかみふなやま神社 -
-
-
-
-
千曲川の中流で諏訪神を祭る神社。本殿は国の重要文化財。
長野県を流れる千曲川(信濃川)。千曲川は、長野市のある善光寺平・川中島を南北に流れているが、その南では筑摩山地に阻まれて東西に流れている。その河原には湯が湧いており、右岸の戸倉温泉・左岸の上山田温泉がひらけている。水上布奈山神社は、戸倉のまちなかに位置する神社である。

所在

長野県千曲市戸倉上中町1990

創建

祭神

建御名方神(たけみなかたのかみ)
建御名方神は諏訪大社の神様である。神話では、出雲国から出た大国主神が国を平定したあと、タケミカヅチがやってきて、国を譲れと迫る。大国主はこの返事を2人の息子に委ねる。そのうち事代主神は承諾したが、建御名方神は承諾しなかった。そこでタケミカヅチは建御名方を殺そうとし、建御名方は逃げる。逃げて逃げて信濃国の諏訪まで来たところで捕まり、そこで建御名方は「諏訪から出ないので許してくれ」と頼む。
年の暮れも押し迫った12月28日訪れた。境内では既に初詣の準備と思しき作業が行われていた。

 水上布奈山神社があるのは、千曲川の中流にある戸倉というところ。平成の大合併で千曲市の一部になったけど、それ以前は戸倉町という独立した町だった。
 戸倉は千曲川の右岸に長い尾根を伸ばしている五里ヶ峯(1094m)という急峻な山の真下にある。その東西に長い尾根の東端には、戦国時代の村上義清の居城だった葛尾城があり、その麓に小規模な扇状地があって、坂城の町が形成されている。反対側の西端ではいくつかの川が合流して千曲川が蛇行しており、その平地には古代から倉科(くらしな)という郷が賑わっていた。

 これらの中間に位置する戸倉は、五里ヶ峯の山裾と千曲川に挟まれた狭い河原に形成された集落だった。その集落は、平安時代に栄えていた「倉科(くらしな)」の外れにあることから「外倉科(そとくらしな)」と呼ばれており、これを縮めて「とくら」に改めたのだという。南北朝時代の史料では「十蔵」とも書かれている。しかし「十蔵」の字面とは裏腹に、戸倉は貧しい寒村だった。

 江戸時代の初め頃、千曲川の右岸に北陸と信濃を結ぶ北国街道が整備された。戸倉にも宿場がおかれることになったが、当時は温泉もなく貧しい村だったので、住人は宿場を上下二つに分割して「上戸倉宿」「下戸倉宿」とし、両宿が交代で役務を負担していた。月の前半が上戸倉、月の後半が下戸倉という具合である。

 そんなわけで、貧しく古社といえるようなものが無かった戸倉にも、まともな神社が祀られることになった。こうして慶長8年(1603年)、諏訪大社から建御名方神を勧請し、「諏訪社」が建立された。これが水上布奈山神社のはじまりである。


手水の水は凍てついていた。
タケミカヅチが建御名方神を殺そうとするとき、氷の刃を使うのだけれど、どっちかっていうと、宮崎から来たタケミカヅチよりも、諏訪の神様である建御名方神のほうが氷属性なのではないか。

千曲市というのは平成の大合併によって平成15年(2003)年に誕生した都市であり、それ以前は埴科市、埴科郡戸倉町、更級郡上山田町の1市2町だった。もとの町は「埴科郡」と「更級郡」とに分かれているが、これは千曲川を挟んで右岸(北岸)が埴科郡、左岸(南岸)が更級郡だったものだ。今ではいくつも橋が架けられて往来は容易だが、明治時代までは千曲川渡るには船を使う必要があり、地理的には隔絶があったのだ。

重要文化財である本殿は、保護のために建物全体が建物で覆われている。

中に入ると、その彫刻を見ることができる。

寒山拾得、ソテツにウサギ、獅子と獏、竹林の七賢人、など、豊富なモチーフががっつり彫り込まれている。
この立派な彫刻は、地元では長く「誰だかわからないが、地元の彫物師」の作品だと言い伝えられてきた。

ところがあるとき、学者が見に来て、これはどう見ても柴宮長左衛門の作風だと指摘した。それで本当の作者が判明したのだそうだ。

柴宮長左衛門矩重というのは、諏訪大社の宮大工で、「諏訪大隅流」の開祖である。諏訪大社下社の春宮・秋宮の拝殿などを手がけた江戸時代中期の人物だ。
こちらの石灯籠は長野県の文化財で、
「飯盛女の石灯籠」
と称する。

飯盛女というのは、
要するに温泉宿で働く遊女のことだけど、
これは天保10年(1839)に戸倉温泉で働く飯盛女52名が献納したものなんだそうだ。
台座には52名の名前が彫られていて、

こと、とみ、うめ、たか、いね、はつ、

などの名前が読み取れる。

中には「えひ」とか「うや」とか、
今では「女性の名前」としてちょっと意味がわからないようなものもある。

 
諏訪系の神社らしく、御柱がある。

御柱祭りといえば諏訪大社の名物だけど、あれは「6年に一度」行われる。

6年に一度なんだけど、数え方としては「七年目」に行うということになっているのでややこしい。

たとえばこんな感じ。

H22   御柱祭 一
H23 ?@      二
H24 ?A       三
H25 ?B       四
H26 ?C       五
H27 ?D        六
H28 ?E 御柱祭 七
2本。

【長野県神社庁データ】
名称 No

 

所在 長野県千曲市戸倉上中町1990 TEL
FAX
例祭日
社格
祭神 建御名方神
交通 しなの鉄道「戸倉」駅より徒歩約10分
社殿
境内     
氏子世帯 崇敬者数 
摂末社
備考 

西暦 元号 和暦 事項 備考
             
1603 慶長 8     北国街道が整備され、下戸倉宿が置かれる。
諏訪大社から祭神を勧請して「諏訪社」を創建。 
 
             
1789 寛政 1     本殿が落成。(現存、重文)  
             
             
1835 天保 6     「水上布奈山神社」に社号を改める。  
1839 10     「飯盛女の石灯籠」が奉納。  
             
             
1965 昭和 40     本殿が戸倉町の有形文化財となる。  
1988 〃  63     本殿が国の重要文化財に指定される。  
             
     

【参考資料】
 『温泉の開祖坂井量之助翁』(1975)
『県史20 長野県の歴史』(山川出版社、1997、2010)
『長野県 地学のガイド』(コロナ社、1979、2001)
『長野県百科事典』(信濃毎日新聞社、1974、1981)
『長野県の歴史散歩』(山川出版社、2006、2011)
『長野の大地見どころ100選』(ほおずき書籍、2004)
『長野県の山』(山と渓谷社、2010、2015)
『長野県地名辞典』(角川書店、1990)
『見る知る信州の自然大百科』(郷土出版社、1997)
『信濃の橋百選』(信濃毎日新聞社、2011)

【リンク】
*おみやさんcom(水上布奈山神社)
*


参拝日:2010年12月28日
追加日:2017年03月04日

TOPページへ戻る