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静岡県

浜松市天竜区

(旧)龍山村 磐田郡 遠江国
(下平山)八幡神社 -
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茶畑を望む急斜面にある神社。

平山

天竜川の谷あいの斜面の村の鎮守。

所在

静岡県浜松市天竜区龍山町下平山946-3-2
(静岡県磐田郡龍山村大字下平山小字千代946-3-2)

創建

祭神

この神社そのものについて詳しく調べたわけではないので、「八幡神社」という名前からの推測になるが、まあ八幡様を祀っているのだろう。八幡様というのは、神様の名前としては「誉田別命」(ほんだわけのみこと)といい、応神天皇のことだとされている。

応神天皇が何者か、という話だが、ヤマトタケルの孫であり、仁徳天皇の父である。母親は神功皇后。神功皇后が妊娠中に、夫である仲哀天皇が死んでしまい、神功皇后が暫定の天皇となる。彼女はお腹に子を宿したまま三韓征伐に出撃し、朝鮮半島を支配下におさめた。その遠征中に応神天皇を産んだ、ということになっている。こうしたことから神功皇后や応神天皇は武神として崇められている。

一連の伝説的逸話が歴史的事実なのかどうかはわからないが、少なくとも神武天皇(初代天皇)とかよりは、歴史的に実在した可能性が高いとされていて、実在した天皇としては最古の天皇だ、とする説もある。

 ▲秋葉湖
 信州・諏訪湖に発した天竜川は伊那谷をぬけて南へ向かう。しかしやがて谷は狭まり、伊那山地に行く手を遮られる。川は南東へ向きを変え、フォッサマグナの大断層帯を蛇行して峡谷を形成している。

天竜川流域は日本最大の断層帯なので、無数の崩壊地形があり、常に夥しい量の土砂が天竜川に流れ込んでくる。これが遠江の海岸で美しい砂浜を形成する一方で、数え切れないほどの土砂災害・水害の原因になってきた。だから近代になると、ここに治水のためにいくつものダムが築かれた。

1958年(昭和33年)完成の秋葉ダムもその一つである。このダムは有名な佐久間ダムと対になるダムだ。上流の佐久間ダムは昼間の膨大な電力需要を賄うために昼間にガンガン放水して発電を行うのだが、そのままだと天竜川が昼と夜とで水量が違いすぎる。そのため佐久間ダムの下流の秋葉ダムで再び水量を調整するのである。

そのダム湖は秋葉湖と呼ばれている。下平山の谷底を流れるのがその秋葉湖である。
 上の等高線をみてもらえれば、このあたりの谷地形がわかるはずだ。
 小仏山のある右岸は等高線が密で、水平距離800メートルのあいだに標高差が800メートルある。角度で言うと45度ということになる。三角定規の45度の角度を想像すると、それほど急とは感じないかもしれないが、スキー場に行ったことがあればわかると思う。斜面が30度ほどで「壁」になる。スキーのジャンプ台を上から見たことがあるだろうか。あれで35度ほど。すなわち、45度は絶壁だ。それに比べると、八幡神社がある左岸は、標高が高いほど緩やかで、水面に近いあたりは45度以上の崖だが、神社がある標高400-500メートルあたりでは30度ほど。

 このあたりは「平山」という。さすがにスキー場の最難関コース級の斜面地で「平らな山」はいかがなものか、と思ったら、「“平松”という松の大木がある山」だから平山村といったそうだ。標高200メートルから500メートルにかけての斜面にある平山村は北部の上平山と南部の下平山にわかれていて、下平山には金山もあってひらけていた。江戸時代には秋葉神社に詣でる人たちのための秋葉街道が通じ、下平山には旅籠もあった。水が乏しい山の上なので、江戸時代から茶や楮、桑、漆の栽培で生計をたてていた。
 

秋葉山から峰づたいに北へ向かい、しばらくしてから天竜川の谷へ降りると下平山地区に出る。そこのは斜面地につくられた典型的な茶畑が広がっていた。

広角レンズで撮影しているせいもあってわかりにくいと思うが、茶畑は結構な勾配だ。

迂闊に踏み込んで、スピードがつきすぎたら自力では止まれなくなって数百メートル下まで滑落してしまうのではないか、そのぐらいの急傾斜地に茶畑が広がっている。

ちょっと調べてみると、この斜面の下にはマルハチというお茶屋さんの工場があるそうなんだが、その丸八というのは加賀棒茶で有名な石川県の茶メーカーのようだ。

そんな会社がなぜ静岡に工場を?いま流行りの産地偽装?などと勘ぐる向きもあるかもしれないが、そうではない。日本各地の茶の生産地が衰退しているのを懸念して、丸八が出資して、地元の茶の生産者が共同で使える施設を整備しているのだとか。えらい。さすが加賀棒茶。


そんな茶畑のなかにまっすぐ登っていく小道を発見。


こんな感じで、深い谷に面した傾斜地であることがわかるだろうか。

この階段づたいにしばらく登っていくと



一の鳥居があった。


これが二の鳥居。


というわけでこれが社殿。

“山の中の打ち捨てられた神社”みたいのを予想していたのだが、
かなり手入れがされていて、地元の方の出入りが相当あることがわかる。

こんな具合で、中にはたくさんの紙が貼ってあり、
誰がいついくら奉納したというのが示されている。相当な数だ。



これは明治時代の額だ。

明治40年10月、
と書いてあると思う。




ちょっと情報が乏しく、詳しいことはよくわからない。天明9年(1789年)の『遠江国風土記伝』に下平山村に関する記述があり、八幡宮の存在が記されている。




【静岡県神社庁データ】
名称 八幡神社 No

 

所在 静岡県浜松市天竜区龍山町下平山946-3-2 TEL
FAX
例祭日
社格
祭神
交通
社殿
境内     
氏子世帯 崇敬者数 
摂末社
備考 

西暦 元号 和暦 事項 備考
             
             
             
             
             
     

【参考資料】
『静岡大百科事典』(静岡新聞社出版局、1978)
『静岡県地名辞典』(角川書店、1984)
『日本歴史地名大系 静岡県の地名』(平凡社、1995)
 

【リンク】
*八幡神社(静岡県神社庁)


参拝日:2013年06月13日
追加日:2017年03月12日

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