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兵庫県

明石市

播磨国
柿本かきのもと神社 -
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県社
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柿本人麻呂を祀る『人丸さん』

柿本人麻呂

柿本神社は、飛鳥時代の歌人、柿本人麻呂を祀る神社である。隣接して明石市の天文科学館があり、日本の標準時を定める子午線が通っている。

所在

兵庫県明石市人丸町

創建

887年(仁和3年)

祭神

柿本人麻呂朝臣

柿本人麻呂(660?-720?)は飛鳥時代の歌人で、「歌聖」と称される。「人丸」との異称もある。しかし、出自など、その生涯は詳らかではない。万葉集や古今和歌集などに柿本人麻呂の和歌が掲載されているものの、人物に関する記述は各種の史書にも見当たらないそうだ。歌集などによれば人麻呂は「正三位」の官位にあり、それほどの高官であれば史書には登場しそうなものなのに、全く登場しないというのは謎で、人麻呂が何らかの理由で刑死したために歴史から名を消されたのではないか、と考えるものもいる。

柿本人麻呂は詩歌に秀でたことから、ふつうには学問の神とされているが、妻を詠んだ歌が多いことから夫婦和合の神、「人麻呂」を「火止まろ」と読んで防火の神としても崇められている。




明石には、日本の標準時間を定める東経135度の子午線が通っている。よく、「明石が日本の東西のまんなかだから標準時間の地に選ばれた」と誤った理解をしている人がいるけれども、それは全然違う。もっと単純な理由なのである。

地球各地の時間の基準になるグリニッジ天文台(東経0度)はイギリスの首都ロンドンにある。もちろん、これを定めた当時のイギリスが世界最強の海洋国だったからここが基準値になったのだ。で、ここを中心にして、地球は360度、東180度と西180度に分割されている。

一方、1日は24時間だ。360度を24で割ると15である。つまり、東西それぞれ15度刻みのポイントは、イギリスの首都ロンドンとの時差がちょうど1時間刻みの地点になる。東アジア方面では、東経120度、135度、150度が選択肢となる。ロンドンとの時差がぴったり8時間の120度は台湾や上海付近を通過しており、時差ぴったり10時間の150度は、択捉島よりも東の得無うるっぷ島を通り、小笠原諸島よりも1000kmも東の太平洋上を通過している。だから日本では選択肢は135度しか無いのだ。

もしも仮に東京を基準値にすると、東京はほぼ東経140度にあり、140÷180=0.7777…となり、ロンドンとの時差は9時間20分となる。20分とか中途半端な時差があるよりはぴったり○時間でいいだろということで、東経135度の地にするしかないのだ。んで、135度ライン上には、三木市や加東市、京丹後市なんかもあって、それらのうちでちょうど135度線が市街地の中心近くを通っているのは明石と三木だけだ。で、二択の勝負に勝った明石市が「標準時間の地」を射止めたというわけである。

さて、この柿本神社が明石にある理由だが、次のように伝えられている。

現在の柿本神社から1kmほど西、明石城の付近の丘陵を、かつては「明石の岡」と呼んでいた。

そこに楊柳寺という寺があり、そこの僧の夢に、明石の岡に柿本人麻呂の霊が留まっているとお告げがあった。調べてみると、その寺の裏にある古い墓地に柿本人麻呂が葬られており、そこに祠を建立したという。887年(仁和3年)のことである。

ずっと時代は下って、1619年(元和5年)に、明石の岡に城を築くことになった。築いたのは当時の明石藩主・小笠原忠真である。小笠原忠真は築城に際し、柿本人麻呂の祠を現在地へ移し、翌1620年(元和6年)に神社を建立した。これがいまの柿本神社の直接の創建である。

このとき楊柳寺も移転し、いまは柿本神社の隣に月照寺としてある。



もともとは、柿本人麻呂の命日にあたる旧暦3月18日を例祭日としていた。それを新暦に置き換えて4月18日となり、今日曜日にあわせるために4月第2日曜日としているそうだ。例祭日には神輿のほか、柿本人麻呂っぽく和歌の献詠会が行われる。


境内の名物の一つ、「八房梅」

1つの花に8つの実がなるということでこの名があるそうだ。

もとは赤穂浪士四十七士のひとり、間瀬九太夫正明が、討ち入り祈願のために植えたもので、これはそれを移植したものだという。

ご神木と狛犬。
この2体の狛犬、台座には1754年(宝暦4年)の銘が彫られており、明石市内の石の狛犬の中で最古のもの。明石市の指定文化財となっている。 
 

こちらは境内にある亀の石像。

実はある条件を満たすと、この亀が動くそうだ。

その条件とは・・・

この漢文全文を、途中で息継ぎせず一息で読み切ること。

できるわけねえだろ!

挑戦する気も起きないわ!

全体像はこんな感じになっていて、亀がこの石版の台座になっている。

実はこれ、1664年(寛文4年)に当時の明石藩主・松平信之が建てたもの。

漢文を書いたのは、林羅山の子で林鵞峰(がほう)という儒学者。当時の大学頭だそうだ。

この石碑も明石市の指定文化財。


門を入ってすぐ脇にある境内末社の五社稲荷大明神。
 

こちらは奥の方にある末社。

菅原道真を祀る天神社と、竈神を祀る三寶荒神社。





【兵庫県神社庁データ】
名称 柿本神社(人丸神社) No

 

所在 明石市人丸町1-26 TEL
FAX
例祭日 4月第2日曜日(旧暦3月18日)
社格 旧県社
祭神 柿本人麻呂朝臣
交通 山陽電鉄「人丸前」駅から徒歩5分
社殿 本殿/一間社流造
拝殿/入母屋造
境内     
氏子世帯 崇敬者数 
摂末社 五社稲荷
天神社
三宝荒社
備考 

西暦 元号 和暦 事項 備考
             
720     柿本人麻呂の没年とされる。(詳細不明)  
     
887 仁和 3     楊柳寺の僧、覚証が明石の岡に祠を建てる。  
             
             
1581 天正 9     豊臣秀吉が大明石村の30石を寄進。  
1617 元和 3      播磨国(姫路藩)の池田光政が鳥取へ転封、播磨国は多数の藩に分割される。
小笠原忠真が明石藩(10万石)へ入封。
 
1621 7     明石城築城のため、現在地へ遷座。  
             
1723 享保 8      柿本人麻呂の没後1000年にあたる。この年、霊元上皇により正一位の神階を得て、柿本大明神の神号を宣下される。また、3月18日を例祭日とする。  
             
1874 明治 7 2    村社に格付け。  
1879 〃  12 6   郷社に昇格。  
1926 大正 15 3   県社に昇格。  
             
             
             
             

【参考資料】
 『角川日本地名大辞典28兵庫県』(1988)、角川書店

【リンク】
*公式サイト
*柿本神社(明石観光協会)

参拝日:2015年02月01日
追加日:2015年02月26日
修正日:2017年07月07日

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