射楯兵主神社は「播磨国総社」というだけあってビッグな神社である。いまの兵庫県は播磨国のほか、但馬国、摂津国、丹波国、淡路国などの一部が合わさってできている。現在の兵庫県の中心都市は文句なしに神戸市だが、播磨国の中心というとそれは姫路城があった姫路なのだ。だから播磨の総社は姫路にある。 姫路城は今も巨大だが、江戸時代まではもっと巨大で範囲が広かった。今の射楯兵主神社は「姫路城の近隣」の位置にあるけども、そこはかつては姫路城の中曲輪の内側だったのだ。射楯兵主神社のすぐ隣には姫路の郵便局の本局があるのだが、そこはかつての播磨国国庁があった場所である。
![]() 神社は姫路駅から姫路城へ続く駅前通りから一本東の通りに面しているのだが、正門的なものはさらに裏手の通り沿いにあるのでちょっとわかりにくい。(郵便局を目指して歩いていったら遠回りしてしまった。) 境内は実に賑々しい。 ![]() あとで分かったことだけど、 射楯兵主神社では60年に1度の一ツ山祭と、 20年に1度の三ツ山祭というのがあるそうだ。 (数え方の問題で、厳密には21年に1回、61年に1回になるかな)
![]() こちらが拝殿。
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さらにこれとは別に「十二社合殿」というのがあって、 さまざまな神社が合祀されている。 これらの中でも姫路の特徴的なのが長壁神社だ。 ![]() ご覧のとおり、 数ある境内末社のなかでも、とりわけ特別感のある佇まい。 ![]() オサカベというのは、姫路城の天守閣に住んでいるオサカベヒメ(長壁姫)のこと。 いちおう妖怪ということになっているが、年に1度、城主に城の運命を告げてくれる。城主が悪行すれば祟ることもあるという。 もともとは、姫路城が出来る前に刑部神社というのがあり、豊臣秀吉が築城のためにこの神社を遠くへ移したそうだ。関ヶ原のあと、池田輝政が姫路城主になって城をいじくり回したのだが、怪異が相次ぐようになり、池田輝政自身も病に倒れた。そこで刑部神社をあらためて城内に建立したという。 もともとオサカベは男とも女ともない妖怪と考えられていたが、江戸時代にこの地を「姫路」と呼ぶようになると「姫」からの連想でオサカベ「ヒメ」と女性になった。その姿は諸説あり、さまざまな姿で描かれる。江戸時代の『今昔画図続百鬼』や『西鶴諸国ばなし』にも登場する。 ぐぐったところ、最近のオサカベヒメはこんな感じで捉えられているようだ。
![]() ![]() 実は、はじめは入り口がわからず、道路をぐるっと回って神門から入ったんだけども、最初に目に入ったのが、境内にある近代的な「和ダイニング三日潮」と「ブライダルサロン長生殿」だった。 そんなわけで、正直、ブライダルサロンか〜ということで、お金大好きの商業神社という先入観をもって臨んだので、テンション下がってあまりじっくり見なかった。これだけの広さがありながら30分ほどしか滞在していない。 【兵庫県神社庁データ】
【参考資料】 ![]() 【リンク】 * | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
参拝日:2005年08月01日 |