きちんとガラスで保護されていて、風雨に耐えられるようになっている。 |
稲荷神社 |
御祭神 |
正一位 稲荷大明神 宇迦之魂神 |
例祭 |
九月九日 |
社殿 |
本殿 保護社殿 幣殿 |
社紋 |
束ね稲 |
境内 |
九九四・九〇平方米 |
由緒 |
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此の地は明治四十四年頃天皇の侍従医であった新潟県人男爵池田謙齊の 所有地であったが夕張川に接近したる低地帯である為例年の如く 水害を受け農作物に大被害を及ぼし小作人は困苦に耐へ開墾を進めて 来たが大正二年福井県仁斎藤末吉が買受け 竹 斎藤農場となる 後大正六年に斎藤甚之助に渡る。小作人戸数は二十数戸管理人は 廣田廣吉であった。この農場は通称 竹 農場として知られ斎藤甚之助に 移譲後は廣田廣吉後山中勝次郎が管理人として農地開放まで存続した。 現在祀られている稲荷神社は大正六年九月九日御本殿並に保護社殿、弊社 殿が斎藤甚之助と其の小作人一統により水の災いを防ぎ五穀豊穣を 祈念して創建されたもので京都の伏見稲荷大社の御分霊を奉斎し創祀された。 終戦後農地開放と共に 竹
農場が解散し九区部落として奉斎する事と なった。平成四年七月七日御託宣による御本殿の嵩上工事に伴ない保護 社殿並に幣殿の改築と境内整備に着手氏子並に崇敬者の奉賛の 誠をもって同年九月九日保護社殿並に幣殿が造営され記念事業と して第一鳥居が奉建された。尚境内敷地については昭和五十一年道営 圃場整備事業実施に伴ない斎藤甚之助の孫により譲渡を受け長沼 神社の敷地として奉納した。 例祭については農業事情の変化に伴ない他産業えの就労も多く区民より 大勢参加が出来る祭典日を設定すべきとの提言により長沼神社宮司 と協議平成十六年度より総会の決議を得て歴史にこだわらず 当該年度で日程を定める事とした
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平成四年九月九日 平成十八年四月十五日追書 朝口祥石謹書 |
「平成18年」に追書したとあるが、いま掲示されているものは、平成4年の由緒書を平成18年に書き直したもの。平成7年刊行の『長沼町第九区百年史』には、平成4年当時の由緒書が掲載されている。
両者を見比べると、文字のサイズなどが違うほか、旧由緒書本文では「記念事業として第一鳥居が奉建された」で終わっている。それに続く「尚境内敷地については・・・」以後は平成18年に書き足された部分。
「朝口祥石」というのは、きっと地元の書家の雅号だろう。 |