群馬県 上野國
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  こんぴら
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金比羅宮
吾妻地方 吾妻郡 中之条町 上沢渡
 沢渡温泉の背後の山は「ふじやま」といい、その尾根筋の先端部には「天神山」「官舎山」などの名がついている。「ふじやま」から西へ峰続きの頂きは「秋葉山あきやさん」。世間一般では秋葉山といえば火伏せの神を祀る山の名前で、ここでも火防のため秋葉大権現を祭祀していた。ところが昭和20年にその秋葉山から出火、上沢渡地区およそ300軒を全焼した。この沢渡大火で、ここの金比羅宮も焼失したが、昭和55年に再建された。
参拝日 令和06年(2024)07月15日 作成日 令和06年(2024)12月09日 修正日 令和07年(2025)03月04日
再訪日 令和07年(2025)03月02日        
所在地 群馬県 吾妻郡 中之条町 大字 上沢渡 字 湯
格式
祭神
社史
境内
社殿
施設
文化財
神職 無住
備考
 
基本情報
概観
所在地
略年表
祭神
神紋
御朱印
 
官舎山T
境内略図
分岐
砂防ダム
三所権現
沢渡のカシ
金比羅宮
 
 
官舎山U
階段
キレット
小祠
小祠
RTB
薬師如来
 
 
前年の記録
山道
石碑
石仏
四阿
晩釣橋
 
 
神社史
上沢渡史
湯原と湯
沢渡大火
 
 
情報
諸元
年表
資料
周辺
リンク
参考文献
 

 
1 基本情報
1-1 概観
 沢渡温泉の後背地の山の尾根を行く。
 階段を登っていくと、
 石積でつくられた平地に至る。
 ここにお宮がある。
 

  

1-2 所在地
所在地
現表記 群馬県 吾妻郡 中之条町 大字 上沢渡  
旧表記 群馬県 吾妻郡 上沢渡村 大字  
 
座標
緯度 北緯 36 37 27.40
経度 東経 138 45 48.85
標高 580m
住宅地からの比高 およそ+80メートル
地図リンク
※ゼンリン地図は建物が登録されていないと近隣の建物が表示される
 。
郷帳 郷帳 郷帳 明治維新 市町村制 昭和の大合併 平成の大合併
和暦 寛文8 元禄16 天保5 明治22 昭和30 平成22
西暦 1668 1703 1834 1889 1955 2010
吾妻郡 折田村 折田村 折田村 折田村 沢田村 折田 中之条町 折田 中之条町 折田
山田村 山田村 山田村 山田村 山田 山田 山田
下沢渡村 下沢渡村 下沢渡村 下沢渡村 下沢渡 下沢渡 下沢渡
上沢渡村 上沢渡村 上沢渡村 上沢渡村 上沢渡 上沢渡 上沢渡
四万村 四万村 四万村 四万村 四万 四万 四万
*平成の大合併で中之条町に六合村を編入

  

1-3 略年表
和暦 西暦 歴史
建久 1191 創建
貞享 1686 検地帳に「薬師堂」として記載
安政 1857 再建
明治 1868 薬師如来を薬師堂から観音堂に遷す
1871 観音堂を湯前神社と改称
41 1908 上沢渡の諸社を湯前神社に合併
45 1912 湯前神社移転のため天神山を造成
湯前神社を澤渡神社へ改号
大正 1914 天神山へ澤渡神社を移転
昭和 20 1945 沢渡大火で社殿全焼 
28 1953 社殿再建 

  

1-4 祭神
 「金比羅宮」「金毘羅様」などと呼ばれているようだが、一番大きな祠には「天狗堂」と書かれている。
 一般論としては、「金比羅神社」(≒琴平神社)の主祭神は大物主ということになっている。インド仏教の「クンビーラ」→「金毘羅」として中国経由で日本に入ってきた仏神が、日本の修験道のなかで神仏習合によって「金毘羅権現」となり、明治の神仏分離のときに神道的な「大物主」となったものだ。
 一方の天狗は、語源自体は中国由来だが、内容的には日本独自の山岳信仰・修験道によるもの。これが偉くなると神となり、個体ごと地域ごとに「○○坊」という名前で呼ばれるようになる。たとえば鞍馬山では「鞍馬天狗僧正坊」とか、秋葉山では「三尺坊」とかだ。また、そのルックスから、記紀のサルタヒコと同一視されることもあるそうだ。

  

1-5 神紋
不明
 

  

1-6 御朱印
 
※不明

  


 
2 官舎山T

  

2-1 境内略図
区分 西暦 和暦 文字 奉納者 備考
砂防ダム 砂防ダム
@ 石製小祠               三所様
A 石製小祠               三所様
B 石製小祠               三所様
C 名木               沢渡のカシ
D 案内看板 2006 平成 18年 3月   町指定天然記念物  
E 木製小祠           天狗堂    
F 石製小祠                
G 石碑 1998 平成 10年 4月 吉日 奉納 金比羅宮 山口宗義  
H ?鳥居                
区分 西暦 和暦 文字 奉納者 備考
I 四阿
J 石製小祠              
K 石製小祠              
L 薬師如来坐像               旧湯前神社跡地
M 名木              
N 休憩所    
O 石碑 2016 平成 28年 2月 1○日 ふる里活性推進記念碑 山口宗義  

2-2 分岐
 沢渡温泉の温泉街は「富士山ふじやま(別名・小富士山)」の中腹に位置している。(この写真は富士山の尾根から撮っているから、富士山そのものは写っていない。)富士山の山頂には浅間神社の石宮があるそうだ。
 温泉街のある斜面の北、天神山に沢渡神社が鎮座している。「天神山」というぐらいだから、かつては菅原道真を祀る祠でもあったのではないかと思うが、現在の沢渡神社は、明治の末に上沢渡一円の諸社まとめて1社にするために、ここを造成して移転してきたもの。その前は、もう少し下の、温泉宿の裏手にあった。
 その境内の西端に「官舎山遊歩道入口」の案内板がある。
 看板には「三所様」「金毘羅様」などと記されている。 
 ご覧の通り、「官舎山遊歩道入口」を記した看板本体の形状に素直に従えば、右奥方面へ行きそうなものなんだが、
 なぜか前回7月に訪問したときは左へ行ってしまい、雨の中おかしな場所を彷徨うことになった。雨のせい。 
 というわけで今回は右へ行く。

  

2-3 砂防ダム
 「天神山」とか「官舎山」というのは、いわゆる独立峰ではなくて、「富士山ふじやま」、別名「小富士山」の南の尾根筋につけられた地名だ。
 入口には、よくあるイノシシ除けの電線とかもなく、うきうきピクニックコースな感じで足を踏み入れる。
 すぐ左手に砂防ダムがある。昭和10年(1935年)9月26日、ここで土砂崩れがあって、その後に建設されたもの。
 この2つの尾根の間に「湯尻沢」という沢が流れていて、天神山から官舎山へはその谷を回り込む必要がある。
 これがその「谷」なんだけど、3月初旬という季節もあるからなのか、沢水らしきものはまったく見当たらない。雨が降った時だけなのだろう。
 数日前の積雪がわずかに残っている。
 ところどころ竹が倒れているのは人為的にメンテナンスしているのだろう。
 谷を渡ると、上りになる。
 谷地と斜面で植生が変わるのか、竹メインぽかった谷底から斜面になると、
足元は杉の落ち葉がびっしり。
 「官舎山」という呼称は、明治時代にこの尾根に営林所の官舎が設けられたことからついた名前。

  

2-4 三所権現/三社様
 ここに石祠が3基並んでいる。
 三社様(三社権現)
 2021.12吉日
 2021年=令和3年なので新しい。
 この看板には「三社」様と表記されているけども、さきほどのこれ↓では「三所」様。『沢渡温泉史』によると「三所権現」。
 いずれにしても「三社」「三所」というのは、山形の月山がっさん・羽黒山・湯殿山の三権現の出羽三山のことなんだそうだ。
 出羽三山は「出羽でわ三山」と書くとふつう「でわ」と読むが、本来は「出羽」は「いでは」と読む。現在、羽黒山にあるのは「出羽いでは神社」だ。
 というわけでこの3基の石製小祠は、左は○○、中は□□、右は△△、というのがあるのだろうけども、ちょっとノーヒントで判らない。いちお、下表のように対応することになっている。
  修験道  神道の祭神 仏教の本地仏
月山 月山権現 ツクヨミ  阿弥陀如来 
羽黒山 羽黒権現 イテハ神
ウカノミタマ
正観世音菩薩
湯殿山 湯殿山権現 オオヤマズミ
オオナムヂ
スクナヒコナ
大日如来
 右端の1基。苔むしているとは言え、比較的新しいものではないだろうか。
 よくある石製小祠と違い、屋根や側壁などのディテールが細かいし、屋根を支える2本の柱もない。全体的に、角が削れている感じもないし、正面に祭神名が刻まれていたり、側面に建立年が刻まれていることもあるけれど、そういうのも無さそうだ。
 ほこらのまわりに置かれた小さな像が、祭神を推し量るヒントになることもありそうだが、今回は3基とも同じような像が置いてあるからヒントにならなさそうだ。
 祠の中には、金の紙垂らしきものが安置されている。
 左端の1基。他の2基との外観上の違いは見つけられない。

  

2-5 沢渡のカシ
 三所様の目の前に大木がある。 
 この大木というのは、写真に撮るのが難しいものナンバーワンじゃなかろうか。広角最大で無理やり全体を画角に収めると、「大きい」感が失われるし。 
 石製小祠の後ろに案内板がある。 
町指定天然記念物
 沢渡のカシ
         (指 定)平成六年十二月一日
         (所在地)中之条町大字上沢渡二二九七
 このカシの木は、目通り約三・八m、樹高は約十六mで、枝張りは東西南北へ約十八m、樹齢は分からないが、樹勢はきわめて旺盛である。このカシの木は、三所様さんしょさま(山形県の月山、羽黒山、湯殿山の出羽三山を祀る三所権現)の御神木としてあがめられている。昭和十(一九三五)年九月の大水害、昭和二十(一九四五)年四月の大火災にも、被害を免れた巨樹である、カシの木が巨樹になる北限であるといわれている。
       平成十八年三月
                 中之条町教育委員会
 遊歩道はさらに斜面を先へ向かう。
 このあたりの斜面の勾配は急だ。
 しばらくすると。
 官舎山の尾根にたどり着き、
 木々の先に、
 広場がある。

  

2-6 金毘羅・天狗堂
 この広場の北端、山を背にして2基の祠が並んでいる。
 右側の1基は、「小祠」というよりは小さなお宮というぐらいのもので、石製ではなく木製だ。
  
 三方からみるとこんな感じ。コンクリート製の2段の台座の上に、さらに木製の土台がある。
 
 木製土台は90cm四方ほど、社本体は45cm四方といったところか。
 額には「天狗堂」とある。
 ということは、これは神道的な神社というよりは、天狗を祀るお堂、一応現代的には「仏教」側?。江戸時代には修験道・神仏混淆・民間信仰といったところか。
 左側には「金毘羅宮」の石碑がある。するってえと、右の木製のお堂は「天狗堂」で、左の石製小祠が「金毘羅宮」なのか・・・?
 
 「平成十年四月吉日」(1988年)。この石碑では「金羅」、遊歩道入口の看板では「金羅」と漢字が異なるけども、これはまあ表記揺れの範疇だろう。
 
 コンクリート製土台の上に、さらに石製の土台が3段。
  
 その上の石製小祠は、さきほどの「三所様」と同型のようだ。量産型なのか・・・?
 一応、気になる人のために。この看板は、なんか「祠の説明書き」みたいな位置に置かれているけども、関係ないようだ。

 この2基の祠の周囲には、なんだか気になる「土台の痕跡」のようなものがある。後方はこんな感じ↓
 後方に、石で囲まれた部分がある。そして2基の祠の手前方向には、
 数メートル×数メートルの範囲がコンクリートで固められている。見るからに、ここにはかつて何かがありました、っていう感じだ。
 官舎山には、もともと金毘羅宮などの堂宇があったのだが、昭和20年(1945年)の沢渡大火で焼失した。資料に拠ると、昭和55年(1980年)に「金毘羅宮跡地に堂宇を再建」とある。きっとたぶんその「跡地」がここだろう。別資料では、昭和55年に、当時の龍鳴館の都筑重雄氏が、「お堂」と「てんぐの面」を寄進したとある。
 で、先ほどの黒い小さな石碑は「平成10年」(1988年)に金毘羅宮を奉納したように読める。昭和55年(1980年)の再建からは8年しか経っていない。で、昭和55年の記録は「堂宇」「お堂」というだけで、何を祀る堂宇なのかは明記されていない。ただ「てんぐの面」をこのとき寄進とあるから、このとき再建されたのは天狗堂かも。

  


 
3 官舎山U
3-1 階段
 金比羅さんからくだる階段。
 左の斜面に鳥居が見える。
 拡大してみたけど、何かあるのか、廃棄されているだけなのか、わからない。
 階段を下から見るとこんな感じ。石積で平地が造られていることがわかる。
 階段をおりていくと、正面は安全上の手摺がない。高所恐怖症殺しだ。
 ここから温泉街が見渡せる。
 車が何台も見えているところがマルホン旅館の駐車場だ。こう↓
 温泉街の中心部、共同浴場とマルホン・龍鳴館だ。
 温泉街側からみるとここらへんのはず。

  

3-2 キレット
 ここから等高線に沿って横移動。正面の絶壁には手摺がないから気をつけなければいけない。
 手摺が登場し、命の危険は去った。
 が、しばらくいくと、細い尾根の頂部を渡るような箇所が登場する。
 夏季ならば下草が生い茂って、左右両側の断崖を覆い隠すだろうけど、冬場は丸見え。。
 北アルプスのキレットに匹敵するだろう、恐怖感満点。高所恐怖症にはほんとつらい。四つん這いになって進むような場所だ。
 いま下りてきた道を振り返るとこんな感じ。
 あの先に、最恐怖区間。
 槍ヶ岳か
 眼下に沢渡温泉街。さきほどの地点とかなり角度が変わっている。
 あれがマルホン旅館です。真ん中の茶色い棟が大浴場。
 右に分岐があり、そちらに行けば険所を回避できるようだけど、そっちはそっちで崖スレスレ。
 というわけで、カメラを撮る余裕もなく階段を登りきった。立ち上がるのは怖いので視線は低い。

  

3-3 小祠
 ここに四阿があり、その脇に石製小祠が1基あった。
 ここまで何度か見た、比較的新しそうなタイプ。
 少し進んで低い箇所から振り返って撮ったもの。

  

3-4 小祠
 ここが尾根の頂部で、左右が断崖絶壁なのがよくわかる。この写真は広角レンズで撮っているから緩斜面に見えるかもしれないが、たとえばスキー場で斜度30℃って言ったらもう「壁」だからね。
 この鞍部にもう1基の小祠がある。
 
 祠には扉がついていて、今までとはちょっと違うタイプ。
 ここからまた険しい断崖地帯をくだる。
 斜面側面をエスケープするルートがある。
 ここをくだると、おそらく先ほどの分岐ルートに出会う。
 ここも右側は急斜面。足を滑らせて転落したら死ぬ怖い
 なんとかカニ歩きで広場にたどり着いた。
 ここにも四阿があり、展望を楽しめる。ここは昨年7月に逆方向から到達した場所だ。
 7月には雨天のため官舎山へ行くのは断念して撤退した地点。我ながら好判断だったと思う。遭難せずに済んだ。
 7月のときはこんな感じ。

  

3-5 RTB(Return to Base)
 ここを下ると温泉街に戻るのだけど、崖
 こんな感じ
 落差的に崖から落ちれば普通にそくしする高さ怖い
 少しいくと崖側にフェンスがあるのだけど、
 こんな傾いたフェンス、うっかり体重かけてもフェンスごと滑落するに決まってる危ない怖い

  

3-6 薬師如来坐像
 命がけで坂をくだってきたところに広場があり、片隅に一基の仏像が安置されている。
 仏像の左側には石柱らしきものも見える。
 ここは7月にも来ているので、その当時の写真をみてみよう。
 夏季はこんな感じ。
 石仏はそこそこの大きさだ。
  
 仏教の知識は皆無なので、これが何なのかはさっぱりわからない。文献を調べたところ、昭和20年(1945年)以降に建立された薬師如来坐像だそうだ。
 地衣類がびっしり。仮に文字が刻まれていてもわからない。
 裏に回っても文字を見つけることはできず。
 石柱も、文字の有無は不明。
 あとで文献調査をして判ったこと。
 この平地は、明治末期までの沢渡神社の旧社地で、当時は「湯前ゆぜん神社」と呼ばれていた。江戸時代から明治中頃までの沢渡温泉ガイドにはその姿が描かれている。
 太平洋戦争末期の昭和20年(1945年)4月16日、秋葉山の山裾で発生した山火事がフェーン現象であっという間に広がり、沢渡温泉街全域を含む上沢渡地区300戸あまりが全焼した。「沢渡大火」と呼ばれている。この石仏は、その大火のあとに、ここに建立されたそうだ。
 だから正確には不明だが、昭和20年(1945年)以降の石仏ということになる。
 これは江戸中期とされる「上州沢渡温泉全図」。
 左上に、「温泉大神ゆぜんおおかみ」と「温泉薬師ゆぜんやくし」が描かれている。温泉大神が明治初期の神仏分離・廃仏毀釈で「湯前ゆぜん神社」になり、薬師は図中央付近の「最泉寺」大日堂に遷された。
 明治45年から大正3年にかけて「湯前神社」を現在の沢渡神社の場所へ移転した時に、境内にあった宝篋印塔や五輪塔などの部品も移した。昭和20年の沢渡大火のあと、湯前神社の旧社地に、薬師如来坐像が建立された。これがいま広場の隅にある石仏。
 上の絵図には、秋葉山と金比羅の山の間にいくつか小さな建物が描かれている。位置的に、金比羅宮や天狗堂、三社様だとかの前身かもしれない。
 こんな感じで歩いてきたはず。
 右側の茶色い建物がマルホン旅館の大浴場、その右の薄オレンジ色の部分がマルホン旅館の正面側、左の薄黄色の部分がマルホン旅館の奥手側。
 正面フェンスの向こう側には、休憩所の四阿が見えている。

  


 
4 前年7月
 ここに掲載する順番を悩んだけども、ここで前年7月に現地を訪問したときの記録も書いておこう。
4-1 山道
 こちらは、いまの沢渡神社がある「天神山」から「官舎山」への遊歩道。「官舎山」という名前は、かつてこの山に官舎があったことに由来するそうだ。 
 行ってみよう。
 (・・・正しい「右」方向ではなく、誤った「左」へ。) 
 完全に山道だけど・・・
 竹藪の向こうになにかある。
 なにか人工物が見えているけど近づく方法がわからない。
 スチームパンク!
 正直、自分がいまどのあたりにいて、どの方角へ向かっているのかも全然わからん。「三所様」「金毘羅様」を目指しているはずなんだけど、目の前のあばら家が何か意味のある建物なのかもわからない。
 当時は気がつかなかったけれど、この先、どう見ても民家の裏とか旅館の裏みたいなところの細道(道?)を歩き、これ覗きに来ていると疑われたらどーすんの、とか思いながら
 あとで色々「官舎山」とかで検索してみると、どうやら道を間違えたようだ。「三所様」「金毘羅様」を訪問したかったのだけど、次回に。
 マジで?とか思いながらこんなとこを通り、
 なんか急に
 休憩所?的なところに出た。

  

4-2 石碑
 ちょっとした休憩用のベンチが2組あり、その傍らに石碑が一基ある。
 真新しい印象。
ふる里活性推進記念碑
 尊□我□
 この地を離れ七十一年
 いまここに・・・
 
 平成二十八年二月十□日
  □九十三歳 山口宗義
 平成28年=2016年。
 『中之条町の石造物』は上沢渡だけで300ほどの石造物を収録しているのだけど、刊行年は平成20年。だから平成28年建立のこの石碑は載っていない。文字が達筆すぎて全文を読み取れないんだけど、それにしても個人的な内容に終始しているようにみえる。
□円□
 沢渡温泉組合長 林 伸二
 中之条町会職員 劒持秀吉
       代書山口 
 この休憩所の端に、次のルートの入口的なものが見える。

  

4-3 石仏
 夏草が茂っているけども、階段や手摺が整備されている。
 行ってみよう。
 次の平地には、隅っこに石仏がある。これはさっき掲載したので割愛。

  

4-4 四阿
 崖沿いを登っていく小路がある。ただし、コンクリ舗装の上に苔が生えていて、そこに雨が降っていて、めちゃくちゃ滑る。死の危険を顧みず登るッ! 
 ここ。 
 ここからの温泉街の眺望はなかなかだ。 
 登った先はちょっとした広場になっていて、 
 休憩スペースもある。 
 さらに道があり、 
 官舎山方面へ行けるようだ。だがしかし、雨のなかこれ以上の山道は危険と判断し、勇気ある撤退の決断を下した。 

  

4-5 晩釣橋 
 またまた温泉街中心部。 
 こんどは山を下ってみる。 
 道の先に特徴的な独立峰が見える。 
 あれは有笠山といい、鎌倉時代初頭に源頼朝が命名したという伝説がある。 
 道の途中の電信柱のもとに、 
 苔むした石造物が2基。 
 びっしり苔むしていてディテールはまったくわからない。なんか雰囲気で、左は双体道祖神、右は道祖神ではないだろうか。 
 上沢渡川に掛かる橋。 
 川原は親水公園になっている。夏は心地よさそうなんだけど、今は大雨シーズンの雨天。鉄砲水でもきて流されてはいけないので、降りないことにした。 
  
  
 橋の名前は晩釣橋という。 
  高野長英の伝記を秘めた
    晩釣橋
 三国一の名湯として有名な草津は、江戸時代後期になると浴客が増加し、それにつれて沢渡も草津の上がり湯(直し湯とも呼ばれた)として浴客が増えました。宿と医者を兼ねた福田宗禎そうていは、天保二年蘭方医高野長英の弟子となりました。長英は、天保十年蠻社の獄で入牢し、後脱獄して全国に潜伏しております。宗禎を尋ねた長英を仙人窟にかくまい、人目を避けて長英が夜釣りを楽しんだという伝説がありました。この川に橋が架けられたとき、この伝説に基づいて晩釣橋ばんつりばしと名付けられました。
 晩釣橋は草津への道に架かる大切な橋で昭和十年九月の大水害で橋の袂にあった民家を共に流失し、昭和二十年の大火にも焼け、現在の姿に架け替えられました。

  

4-6

  


 
5 沢渡史 
5-1  

  

5-2  

  

5-3  

  

5-4  

  

5-5  

  

5-6

  


 
6 情報
6-1 諸元
名称
古称
古称
所在
経緯度 北緯 036 度 37 分 27.40 秒
東経 138 度 45 分 48.85 秒
現所在 群馬県 吾妻郡 中之条町 大字 上沢渡
地名地番 群馬県 吾妻郡 中之条町 大字 上沢渡 字 湯
旧表記 群馬県 吾妻郡 沢田村 大字 上沢渡 字 湯
注記
電話番号
祭神
主祭神 不明
沿革
創建 不詳
口伝
再建
移転
境内
面積 不明
社殿
本殿
本殿上屋
拝殿・幣殿
境内社  
倉庫  
摂末社
境内社
境内合祀
境内末社
社格
近代社格
現代  
祭礼
春祭
夏祭
秋祭
氏子
世帯数
   
文化財
町指定
重要文化財
町指定
天然記念物
交通
鉄道 JR吾妻線「中之条」駅から約10.9km(車22分)
バス 関越交通バス沢渡線「沢渡温泉」バス停より約170m(徒歩3分)
「箱島」ICから約21.7km(車44分)
情報源
主要文献
『上野国神社明細帳11碓氷郡・吾妻郡・利根郡・佐位郡』 1879 -
『上毛吾妻郡神社小誌』 1915 -
『群馬縣吾妻郡誌』 1929 -
『吾妻郡社寺録』 1978 -
『群馬県百科事典』 1979 -
『中之条町誌』 1983 -
『日本歴史地名大系10』 1987 -
『角川日本地名大辞典』 1988 -
『群馬新百科事典』 2008 -
『令和元年版吾妻郡神社要項』 2019 -
「群馬県近世寺社総合調査報告書−歴史的建造物を中心に−神社編」 2022 -

  

6-2 年表
※本表は旧暦・新暦の日付の換算を考慮していない。
和暦 干支 西暦 事項 情報源
約50万〜25万年前 榛名山・赤城山の誕生  
約225,000年前 古榛名山のカルデラ湖(古榛名湖)生成  
約 42,000年前 古榛名山が大噴火、現榛名湖の誕生  
約 35,000年前 日本列島での旧石器文化の確実な証拠  
約 31,000年前 榛名湖の噴火、榛名富士・蛇ヶ岳の生成  
約 20,000年前 榛名山の噴火、相馬山の生成  
約 20,000年前 日本列島特有の旧石器文化の普及  
約 16,000年前 縄文時代はじまる  
   細尾岩陰遺跡(縄文時代早期)
 久森環状列石(縄文時代中期)
 
約 10,000年前 榛名山の噴火、水沢山の生成  
     
神武帝元年 辛酉 紀元前660年 神武天皇即位年とする(皇紀元年) 戦前皇国史観
         
崇神天皇48年 辛未 紀元前611年 豊城入彦命(上毛野氏・下毛野氏の祖)が東国を治める  
         
    57         「漢委奴国王」印 『後漢書』「東夷伝」 
景行天皇40年 庚戌 110         日本武尊が碓日の坂を経由して上野国を去る  
景行天皇55年 乙丑 125     彦狭島王が東山道15国の都督として下向するも、道中病死し上野国に埋葬 『日本書紀』
景行天皇56年 丙寅 126         御諸別王(豊城入彦命の3世孫)が東国を治める 『日本書紀』
応神天皇15年 甲辰 284         荒田別・巫別(両者とも上毛野氏の祖)が百済に使者として派遣される 『日本書紀』
この頃             毛野国が上毛野国と下毛野国に分割となる  
仁徳天皇53年 乙丑 365         上毛野氏の一族、田道が新羅に派遣され、新羅軍を破る  
仁徳天皇55年 丁卯 367         田道が蝦夷と戦い敗死  
                 
紀元前3〜5世紀頃 弥生時代はじまる  
   有笠山遺跡(弥生時代中期)  
    489         榛名山北部で大噴火、二ツ岳の生成  
  丁亥 507 継体天皇即位  
    525〜550 榛名山北部・二ツ岳で大噴火、榛名山北部吾妻地方の文明が壊滅、毛野国衰退  
宣化天皇03年 戊午 538         仏教伝来(552年説あり)  
用明天皇02年 丁未 587         仏教派の蘇我馬子が神道派の物部守屋を滅ぼす  
推古天皇09年 辛酉 601         新羅の間諜・迦摩多が上毛野国に配流  
推古天皇35年 丁亥 627         信濃国から蠅の大群が襲来  
舒明天皇09年 丁酉 637         上毛野君形名が蝦夷反乱を討伐  
大化 乙巳 645     大化の改新  
丙午 646         榛名山大噴火 岡崎方面で大被害  
                  この頃に吾妻郡設置か  
斉明天皇04年 戊午 658         有馬皇子の変に際し、守大石らが上毛野国に配流  
天智天皇02年 癸亥 663         上毛野君稚子が新羅征伐の将に任じられる  
天武天皇元年 壬申 672         壬申の乱  
天武天皇13年 甲申 684         上毛野君が朝臣の姓を賜る  
大宝 辛丑 701 21 「大宝律令」成立  
癸卯 703 17 上野国で疫病 『続日本紀』
和銅 庚戌 710 10 平城京遷都  
辛亥 711 上野国に多胡郡を設置 多胡碑
壬子 712 28 『古事記』成立  
養老 庚申 720 21 『日本書紀』完成
天平年間 729 〜 749 『万葉集』に「左和多里」(さわたり)を詠んだ歌が掲載  
天平 13 辛巳 741         榛名山二ツ岳噴火  
天平宝字4年 庚子 760 26 上野国で飢饉、朝廷が救援 『続日本紀』
天平宝字8年 甲辰 764 10 20 上毛野朝臣馬長が上野国司となる 『続日本紀』
神護景雲2年 戊申 768 掌膳采女佐位朝臣老刀自を上野国国造に任じる 『続日本紀』
天応 辛酉 781         桓武天皇が即位  
延暦 乙丑 789 「吾妻七騎」が坂上田村麻呂の東征軍に加わったと伝わる(〜804)
率いたのは小野金善とも
『中之条町誌』
 
庚午 790         上野国など14国で飢饉  
13 甲戌 794 10 22 平安京遷都  
弘仁 辛卯 811 15 上野国が「上国」から「大国」に格上げ 『日本後紀』
天長 丙午 826 上野国が親王任国となる 『類聚三代格』
承和 甲寅 834 21 阿保親王が上野国国司となる 『続日本後紀』
貞観 壬午 862         吾妻郡擬少領上毛野坂本朝臣真道の名が文書に記載 『政事要略』 
丁亥 867 20 上野国赤城神社・榛名神社などの神階格上げ 『三代実録』
仁和 乙巳 885         上野国で班田制が崩壊  
延喜 13 癸酉 913         『延喜式』に上野国9牧記載  
延長 丁亥 927         『延喜式』巻9・10「神名帳」成立  
承平 乙未 935         平将門の乱(承平の乱、〜940)  
天慶 己亥 939 12     藤原純友の乱(天慶の乱、〜941)  
天暦 丁未 947         市代牧から「白波」など名馬を朝廷へ献上  
永承 辛卯 1051         前九年の役  
永保 癸亥 1083         後三年の役  
天仁 戊子 1108 21 浅間山大噴火  
保元 丙子 1156         保元の乱  
平治 己卯 1159         平治の乱  
養和 壬寅 1182     「吾妻八郎」が栗毛馬1頭を伊勢神宮へ奉納 『吾妻鏡』
文治 乙巳 1185 24 壇ノ浦の戦い、平家滅亡  
建久 辛亥 1191 15 澤渡神社の前身、湯前神社創建  
壬子 1192 12 源頼朝が征夷大将軍となる  
癸丑 1193         源頼朝・三原荘での巻狩伝説  
承久 辛巳 1221         承久の乱(吾妻太郎討死)  
仁治 辛丑 1241 20 三原荘(上野国)と長倉保(信濃国)の境界を巡り、武田信光と海野幸氏の総論 『吾妻鏡』
康元 丙辰 1256     上野国守護の安達泰盛が評定衆に加わる  
11     長尾景煕が白井荘を与えられ、白井城を築城  
文永 庚午 1270 12     沢渡温泉の図像板碑  
辛未 1271         林昌寺(中之条伊勢町)板碑  
11 甲戌 1274 10     蒙古襲来(文永の役)  
弘安 庚辰 1280         一遍上人が上野国に来訪  
辛巳 1281     蒙古襲来(弘安の役)  
        浅間山噴火  
乙酉 1285 11   霜月騒動 上野国守護安達泰盛と上野国の御家人が破れ、北条得宗家が上野国守護となる  
永仁 戊戌 1296         『上野国神名帳』に吾妻郡13座を所載  
建武 甲戌 1334         建武の新政  
    後醍醐天皇が護良親王・新田義貞・楠木正成らに足利尊氏討伐を命じる  
延元 丁丑 1338         新田義貞が越前国で討死(建武4年)  
貞和 己丑 1349 北朝方の吾妻太郎行盛が、南朝方の里見氏に攻められ敗死したとの伝承  
観応 庚寅 1350   観応の擾乱(〜1352)(正平5年)  
延文年間 1356〜1361 『神道集』成立、「和利宮」の初出
                     
応永 乙亥 1395 24 上杉憲定が上野国守護となる  
                     
23 丙申 1416         上杉禅秀の乱  
                     
永享 10 戊午 1438         永享の乱 足利持氏と上杉憲実が対立 長尾景仲が関東管領上杉憲実を白井城に移す  
        吾妻氏家臣の三家が主家を抑えて吾妻地方を分割、中之条は塩谷氏が支配  
享徳 年  甲戌 1455         享徳の乱はじまる(〜1483) 関東管領上杉憲忠が暗殺される  
応仁 丁亥 1467 26 応仁の乱はじまる  
文明 癸巳 1473         塩谷氏と大野氏が争う  
                  この頃、吾妻33番観音が成立という  
丙申 1476         長尾景春の乱 関東管領上杉顕定に叛く  
12 庚子 1480         吾妻方面の諸将が平井城・上杉顕定に服属  
        関憲勝が大岩郷に転住  
14 壬寅 1482 11 27 都鄙和睦 享徳の乱の終結  
18 丙午 1486         京都常光院の堯恵が草津温泉・伊香保温泉に逗留 北国紀行
文亀 壬戌 1502         連歌師の宗祇が伊香保温泉に逗留 宗祇終焉記
永正 庚午 1510     上杉顕定討死 養子の上杉憲房が白井城に入る  
10 癸酉 1513     箕輪城長野憲業が大戸浦野氏を攻略を榛名山に祈願 榛名山文書
大永 癸未 1523         関氏が大岩不動尊を建立 『中之条町誌』
享禄 庚寅 1530 11 箕輪城長野憲業が吾妻で討死 業正が後継  
天文 15 丙午 1546         河越夜戦 関東管領上杉憲政が北条氏康に大敗し平井城へ退く  
20 辛亥 1551         北条氏康が上野国へ侵攻、平井城上杉憲政を破る  
21 壬子 1552 10 上杉憲政が平井城を出奔、越後国上杉謙信を頼る  
弘治 丁巳 1557 『上野国神名帳』の写本が現存  
永禄 庚申 1560 29 上杉謙信が上野国へ侵入  
辛酉 1561     上杉謙信が北条氏の相模国小田原城を包囲  
21 箕輪城主長野業正が没し、業盛が後継となる  
癸亥 1563 10     真田氏が斎藤憲広(または基国)を破り、憲広は越後へ逃れる  
乙丑 1565 10     武田氏が嵩山城を攻め落とし、斎藤氏滅亡  
丙寅 1566     上杉謙信、沼田城から吾妻郡方面攻略  
    武田信玄が箕輪城の長野氏を滅ぼす  
        武田氏麾下の海野氏が吾妻方面の郡代に任ぜられる  
12 己巳 1569         北条氏と上杉氏が和睦、上野国は上杉氏領となる  
元亀 辛未 1571         武田信玄配下の真田氏が上野国白井城を攻略  
壬申 1572         武田家が白井城を攻め落とす  
癸酉 1573 12 武田信玄没  
    織田信長が足利義昭を京都から追放(室町幕府の滅亡)  
天正         上杉謙信が上野国白井城を攻略  
乙亥 1575 21 長篠の戦い 武田氏の勢力衰える 吾妻方面の将兵多数討死と云う  
丙子 1576         真田昌幸が岩櫃城に入城  
己卯 1579         武田勝頼と上杉景勝が和睦し、上野国は武田家・信濃国は上杉家と定める  
庚辰 1580 23 真田昌幸による沼田城攻略  
武田勝頼が真田昌幸を沼田へ帰城させる  
10 壬午 1582 11 武田勝頼が天目山で自害、武田氏滅亡  
23 織田信長が上野国を滝川一益に与える  
本能寺の変  
        天正壬午の乱(上野国などを巡る徳川・北条・上杉氏の争乱)  
    北条氏が大戸方面から吾妻郡へ侵攻  
12 29 徳川家康と北条氏直が講和(天正壬午の乱終結)  
11 丁亥 1583 豊臣秀吉、九州平定  
15 丁亥 1587 近衛前久が草津温泉で湯治  
17 己丑 1589 21 秀吉が上野国沼田を北条家へ、名胡桃城を真田家へ仕置  
12     吾妻合戦  
18 庚寅 1590     中之条古城が落城  
秀吉による小田原攻めに伴い、上野国の北条方の諸城も攻略  
15 真田信幸が沼田に入り沼田藩創始  
      吾妻郡の諸城を破却  
文禄 壬辰 1592         朝鮮出兵(文禄の役)  
慶長 庚子 1600 15 関ヶ原の合戦  
                   
元和 乙卯 1615     大坂夏の陣  
丙辰 1616         真田氏、岩櫃城を破却し、原町に奉行所を開設、中之条に屋敷割り  
        真田信幸が上田に移り、長男・真田信吉に沼田城3万石を与える(沼田藩2代目)  
         
寛永 乙丑 1625         中之条町を王子原に町割り、用水開削  
11 甲戌 1634         真田信吉が吾妻地方の知行替えを実施  
明暦 丙申 1656         真田信直(信吉の次男)が沼田藩を継ぐ(沼田藩5代目)  
延宝 己未 1679         藩主真田信直が沢渡温泉に入湯  
庚申 1680         慶寿院(真田信直の母)が沢渡温泉に入湯  
天和 辛酉 1681 11     沼田藩真田信直が改易、天領となる  
貞享 丙寅 1686         検地帳に「薬師堂」記載  
元禄 庚午 1690         吾妻33観音札所再興  
11 戊寅 1698         中之条東部が旗本保科氏の支配となり、伊勢町根岸家を代官とする  
宝永 戊子 1705         本多正永(伯耆守)が藩主となり、沼田藩復活(沼田藩U初代)  
庚寅 1710 10     沢渡温泉、従来の「上の湯」「下の湯」に加えて「中の湯」開設  
享保 丙申 1716     巡見使が山田、上沢渡経由で草津へ向かう  
15 庚戌 1730         沼田藩主・本多正矩が駿河田中藩へ転出、沼田は天領となる  
安永 己亥 1779         中之条大火  
天明 癸卯 1783 浅間山大噴火(天明の浅間焼け)  
享和 癸亥 1803     沢渡温泉湯宿経営者3名が蘭医福田宗禎(喜左衛門)を訴える  
文化 丙寅 1806         10年に一度の豊作となる  
文政 年  庚辰 1820         十辺舎一九『東海道中膝栗毛』シリーズ「上州草津温泉道中」に暮坂峠・沢渡温泉が登場  
年  乙酉 1825 18 異国船打払令  
11 戊子 1828         富田永世が四万温泉・沢渡温泉に入湯  
天保 辛卯 1831         江戸の医者・蘭学者の高野長英が沢渡の蘭医・福田宗禎を訪問  
丁酉 1837     大塩平八郎の乱  
10 己亥 1839         高野長英ら蘭学者が捕縛(蛮社の獄)  
弘化 甲辰 1844         牢の火災に乗じて高野長英が脱獄。以後「沢渡温泉に潜伏した」との伝説がある  
嘉永 癸丑 1853 ペリー、浦賀に来航  
安政 甲寅 1854 25 吾妻川の通船許可  
日米和親条約、下田・箱館を開港  
    村明細帳に「上沢渡村」と記載  
丁巳 1857 15 神社再建  
戊午 1858 19 大老井伊直弼、独断で日米修好通商条約を締結  
文久 辛酉 1861 11 10 和宮降嫁、中山道を通過  
元治 甲子 1864         道陸神峠を開削し、馬1匹通行可能とする  
慶応 丁卯 1867 10 14 徳川慶喜が大政奉還を上奏   
年  戊辰 1868 鳥羽伏見の戦い(戊辰戦争)  
          神仏分離令  
明治 明治改元  
        上沢渡村薬師堂から薬師如来を湯原の観音堂に遷す  
己巳 1869     版籍奉還  
辛未 1871 14 廃藩置県  
11 10 大区小区制施行  
        社格制度創設  
12 太陰暦から新暦に切り替え(12月3日が明治6年1月1日となる)  
25 市制・町村制施行  
        湯原の観音堂を湯前神社と改称  
壬申 1872 11     群馬県で地蔵・観音像・庚申塚・十三夜塔・馬頭観世音などの撤去命令が出る  
10 丁丑 1877         文人・野口常共が沢渡温泉の福田宗禎邸に逗留、沢渡八勝詩序を著す  
11 戊寅 1878 22 郡区町村編制法を領布  
        中之条に吾妻郡役所が開設  
12 己卯 1879         スウェーデン探検家ノルデンショルドとデンマーク探検家ホウゴーが沢渡温泉を訪れる  
17 甲申 1884 25 上野=高崎間に鉄道開業、式典に明治天皇行幸   
20 丁亥 1887     内務大臣井上馨が沢渡に来訪  
22 己丑 1889 町村制により、下沢渡・上沢渡・四万・折田・山田5ヶ村が合併して吾妻郡沢田となる  
27 甲午 1894 25 豊島沖海戦(日清戦争開戦)  
28 乙未 1895 17 下関条約(日清戦争終結)  
29 丙申 1896 29 郡の再編により、吾妻郡設置  
31 戊戌 1898 11     暮坂峠の新道を開削  
35 壬寅 1902 30 日英同盟  
37 甲辰 1904 10 ロシアに宣戦布告(日露戦争開戦)   
38 乙巳 1905 奉天会戦はじまる(第七師団派遣)  
ポーツマス条約(日露戦争終結)  
40 丁未 1907     郡内で神社の合併が盛んになる  
41 戊申 1908 22 上沢渡地区の諸社を湯前神社に合併  
42 己酉 1909 21 浅間山噴火  
12 浅間山噴火  
10 17 鯉沢(渋川)=中之条に鉄道敷設  
12 前橋=渋川間に電鉄開業  
43 庚戌 1910 12 25 浅間山噴火  
44 辛亥 1911 浅間山噴火  
12 浅間山噴火  
45 壬子 1912         湯前神社(後の沢渡神社)移転のため、天神山を造成  
27 移転許可  
        この頃、通称「湯前神社」「温泉神社」を「沢渡神社」に改号  
30 明治天皇、崩御  
大正 1912 30 日  大正改元   
甲寅 1914     天神山に遷宮、社殿建立  
28 第一次世界大戦勃発  
12 神饌幣帛料供進神社に指定  
11 10 大正天皇即位大礼  
戊午 1918         シベリア出兵(〜1922)  
己未 1919 28 ベルサイユ条約締結(第一次世界大戦終結)  
庚申 1920 11     渋川=中之条間の鉄道が電車となる(長野原線)  
10 辛酉 1921 上越南線・高崎=渋川間開業  
11 壬戌 1922         若山牧水、草津・花敷・沢渡温泉へ  
12 癸亥 1923 関東大震災  
15 丙寅 1926 18 草津電鉄(草津=軽井沢)開通  
12 25 大正天皇崩御  
昭和 1926 〃  昭和改元  
           
戊辰 1928 11 10 昭和天皇即位大礼  
庚午 1930 沢渡温泉の字湯御堂谷戸の畑で1270年の銘が入る図像板碑出土
12 浅間山噴火  
辛未 1931 上越線全通  
18 柳条湖事件(満州事変開始)  
10 乙亥 1935 26 豪雨による土砂災害で、沢渡温泉で死者23名、ほか上沢渡各集落地で40名死亡  
12 丁丑 1937 日中戦争開戦(盧溝橋事件)  
14 己卯 1939     沢渡温泉・四万温泉で軍人の特需により大繁盛  
ドイツがポーランドへ侵攻(第二次世界大戦開戦)  
15 庚辰 1940 11 10 紀元二千六百年記念行事  
16 辛巳 1941 12 真珠湾攻撃(太平洋戦争開戦)  
17 壬午 1942     東條英機首相が四万の製炭業を視察  
19 甲申 1944 ノルマンディー上陸作戦  
10 20 レイテ沖海戦  
20 乙酉 1945 国鉄長野原線・渋川=長野原間の開通(現在の吾妻線)  
10 東京大空襲  
        東京大空襲の被災者の児童・引率教師ら211名余りが沢渡温泉に疎開してくる  
16 沢渡大火、114戸焼失・死者5名、沢渡神社全焼  
ドイツ降伏  
15 終戦の詔  
12     GHQの神道指令(国家神道・社格の廃止)  
21 丙戌 1946 農地改革  
22 丁亥 1947 宗教法人沢渡神社の創立を決定  
23 1948     アイオン台風 四万沢渡方面で落橋多数  
24 己丑 1949 沢田村山火事  
31 キティ台風 群馬県内で死者42名  
27 壬辰 1952 20 宗教法人沢渡神社創立を申請  
28 癸巳 1953     沢渡神社社殿再建  
町村合併法制定(昭和31年9月末までの時限立法)、町村合併相次ぐ  
30 乙未 1955         神武景気  
     
33 戊戌 1958 11 10 浅間山噴火  
34 己亥 1959 14 浅間山噴火  
36 辛丑 1961 細尾・暮坂峠間に県道開通  
39 甲辰 1964 11 長野原=草津間に草津有料道路が開通  
40 乙巳 1965 12 吾妻川支流に草津温泉廃水の中和用の品木ダム完成  
46 辛亥 1971 国鉄吾妻線開業  
辛亥 11 28 上越新幹線起工  
55 庚申 1980 16 沢渡大火で焼失した金毘羅宮跡地に堂宇を再建  
56 辛酉 1981 12 23 上越新幹線の中山トンネル貫通  
57 壬戌 1982 11 15 上越新幹線の大宮・新潟間で営業開始  
60 乙丑 1985 14 上越新幹線が上野駅へ乗り入れ  
乙丑 10 関越自動車道全通  
64 己巳 1989 昭和天皇崩御  
平成 1989 平成改元  
16 甲申 2004 浅間山噴火  
31 己亥 2019 30 平成天皇が譲位  
令和 令和改元  
                     
6-2-1 沼田藩史
和暦 干支 西暦 藩主 事項 情報源
天正 18 庚寅 1590   小田原北条氏降伏  
                    上野国沼田城は真田家へ仕置  
                    真田家は沼田3万石を長男の信幸へ  
15 日  (初代)真田信之 真田信幸(信之)が沼田入城  
元和 丙辰 1616         (2代)真田信吉 真田信之が上田に移り、長男信吉へ沼田を与える  
寛永 11 甲戌 1634 12 (3代)真田熊之助    
16 己卯 1639         (4代)真田信政 松代藩主が兼任  
明暦 丙申 1656         (5代)真田信直    
天和 辛酉 1681 11       沼田藩真田家が改易  
                    天領  
元禄 16 癸未 1703           本多家が沼田藩主となる  
宝永 戊子 1705         (初代)本多正永 沼田藩U  
正徳 辛卯 1711         (2代)本多正武    
享保 辛丑 1721         (3代)本多正矩    
15 庚戌 1730           本多家が駿河田中藩へ転出、沼田は天領となる  
                       
17 壬子 1732         (初代)黒田直邦 沼田藩V  
21 乙卯 1735         (2代)黒田直純    
寛保 壬戌 1742           黒田家が上総国久留里藩へ転出  
1742         (初代)土岐頼稔 沼田藩W  
甲子 1744         (2代)土岐頼煕    
宝暦 乙亥 1755         (3代)土岐定経    
天明 壬寅 1782         (4代)土岐頼寛    
1782         (5代)土岐定吉    
丙午 1786         (7代)土岐定富    
寛政 庚戌 1790         (8代)土岐頼布    
文化 10 癸酉 1813         (9代)土岐頼潤    
文政 丙戌 1826         (10代)土岐頼功    
天保 14 癸卯 1843         (11代)土岐頼寧    
弘化 丁未 1847         (12代)土岐頼之    
慶応 丁卯 1867         (13代)土岐頼知    
明治 辛未 1871 14 廃藩置県  
6-2-2 上沢渡村の行政史
和暦 干支 西暦 事項 情報源
寛文 戊申 1688         上沢渡村として記載 「寛文郷帳」
慶応 戊辰 1868 17 岩鼻県に属する  
明治 明治改元  
己巳 1869     版籍奉還  
辛未 1871 14 廃藩置県  
10 28 群馬県となる  
壬申 1872 11 10 大区小区制施行 第20大区第6小区となる  
25 市制・町村制施行 上沢渡村となる  
癸酉 1873 15 熊谷県となる  
丙子 1876 21 群馬県となる  
11 戊寅 1878 22 大区小区制廃止  
12 郡区町村編制法施行、吾妻郡発足  
22 己丑 1889 町村制により、山田村・折田村・下沢渡村・上沢渡村・四万村の5ヶ村が合併して吾妻郡沢田村となる  
29 丙申 1896 29 郡の再編により、吾妻郡設置  
 
昭和 28 癸巳 1953 町村合併法制定(昭和31年9月末までの時限立法)、町村合併相次ぐ  
30 乙未 1955 中之条町・沢田村・伊参村・名久田村が合併し中之条町となる  
平成 22 庚寅 2010 28 中之条町に六合くにむらが編入  
                     

  

6-3 資料
6-3-1 1686(貞享3年)貞享検地
  貞享三上澤渡村御檢地水帳
 
 

古檢

            廿一  宮建有之  
≒  0.006ha

十六

間 

  拾五  三島明~宮境内
≒  1.988ha
                     

宮守

杢兵衛  
                           
   

古檢

   宮建有之  
≒  3.332ha
 

百十八

間 

九十五

三  廿  藥師堂境内
≒  3.705ha
                     

宮守

太郎左衛門  
                           
   

古檢

             
≒  0.009ha
 

間 

        拾八  稲荷宮境内
≒  0.015ha
                     

宮守

彌兵衛  
                           
   

古檢

        廿    
≒  0.026ha
 

間 

        廿  稲荷宮境内
≒  0.026ha
                     

宮守

傳助  
                           
   

古檢

            廿四    
≒  0.008ha
 

間 

        拾八  稲荷宮境内
≒  0.016ha
                     

宮守

善兵衛  
                           
   

古檢

        十二    
≒  0.024ha
 

間 

        廿  稲荷宮境内
≒  0.026ha
                     

宮守

加左衛門  
                           
   

古檢

         宮建有之  
≒  0.021ha
 

間 

         熊野宮境内
≒  0.023ha
                     

宮守

仁左衛門  
                           
   

古檢

        十五  宮建有之  
≒  0.044ha
 

十五

間 

           大通新宮境内
≒  0.049ha
                     

宮守

仝上
                           
   

古檢

         宮建有之  
≒  0.011ha
 

間 

        拾八  十二~宮境内
≒  0.016ha
                     

宮守

長兵衛  
                           
   

古檢

            二十    
≒  0.006ha
 

十二

間 

         十二~宮境内
≒  0.031ha
                     

宮守

平右衛門  
                           
   

古檢

       宮建有之  
≒  0.119ha
 

三十五

間 

十四

     山王宮境内
≒  0.162ha
                     

別當

正學院  
                           
   

古檢なし

                 宮建有之    
 

二十

間 

         十二~宮
≒  0.053ha
                     

宮守

助右衛門  
                           
   

古檢

           
≒  0.031ha
 

間 

         大峯宮境内
≒  0.033ha
                     

宮守

助右衛門  
                           
   

古檢

        廿六    
≒  0.018ha
 

三十

間 

二十

           十二~社境内
≒  0.198ha
                     

宮守

善右衛門  
                           
   

古檢

             
≒  0.009ha
 

二十六

間 

三十

       十二~宮境内
≒  0.257ha
                     

宮守

彌兵衛  
                           
   

古檢

             
≒  0.049ha
 

四十

間 

三十

           飯綱宮境内
≒  0.396ha
                     

宮守

彌兵衛  
                           
   

古檢

           宮建有之  
≒  0.059ha
 

二十四

間 

        拾貳  十二~宮境内
≒  0.063ha
                     

宮守

甚之亟  
                           
                     宮建有之    
 

四十

間 

三十

     諏訪宮境内
≒  0.111ha
                     

宮守

小右衛門  
                           
   

古檢なし

                 宮建有之    
 

四十

間 

三十

        貳十六  山王宮境内
≒  0.018ha
                     

別當

正學院  
                           
 右古跡無紛森従古來除來之由遂吟味得御下知如斯水帳之奥書記之者也
                  酒井河内守内
                    高須隼人
 
 がんばって写したものの、これでは「これが澤渡神社(温泉神社・湯前神社)の前身」と直接示すものはない。が、「温泉神社」の性格からすると薬師堂があやしい。これ『中之条町誌』によると、湯前神社はこの時代、上から2番めの「薬師堂」内にあったそうで、明治元年の神仏分離のときに、薬師如来を湯原の観音堂に遷し、これを明治4年(1871年)に「湯前神社」と改称した。

 このほか上の表のうち、
 上から11番めの「山王宮」が後代の「日枝神社」。縦35間×横14間という境内地が次の資料とぴったり一致する。日枝神社の主祭神は大山祇命なので、「山王」とも符合する。
 上から7番目の「熊野宮」が蛇野の熊野神社。
 上から9番目の「十二神宮」が丹下の大山祗神社。
 下から2番めの「諏訪宮」が大岩の諏訪神社。
 このほか上から12番め・13番めの「十二神宮」「大峯宮」のいずれかが反下の諏訪神社だそうだ。

  

6-3-2 2008(平成20年)『沢渡温泉史』
 三所権現
    三所権現(山形県の月山、羽黒山、湯殿山の出羽三山)の社が金比羅山の中腹にあったが、これも昭和二十年の大火の時に焼けてしまった。今、その礎石と参道(石段)とご神木のカシの木(町指定天然記念物)が残っている。  
         
 金毘羅様・天狗様・山の神様
    金毘羅様は金比羅山に祭られている。
天狗様は天狗山に祭られていた。
山の神様(十二様)は、地区内何か所かに祭られていた。 
         
 おてんぐさん
    沢渡では昔から、ふじやまのとなりの山、秋葉山(あきやさん)といって火ぶせの神が祀ってある。以前は世話人の家で祭日にはケンチン汁を振舞って火の安全を祈ってきた。大火の前、秋葉山の麓に金比羅宮がありそこに祀られていた「おてんぐさん」の鼻をある者が折ってしまった。それを知った沢渡の人達は不吉な思いでいた。その後大火に遭ったことで、龍鳴館(都筑重雄氏)は昭和五十五年金比羅宮跡地にお堂とてんぐの面を寄進し四月十六日に自ら料理を振舞いお祭りをしている。大岩でも、直接被害はなかったが、婦人会で毎年四月十六日に講を行っている。
         

  

6-4 上沢渡史
 。

  

6-5 リンク
サイト 題名 リンク 日付
群馬県神社庁 県内神社紹介 吾妻支部  
   
 
 
 

  

6-6 参考文献
書名 著・編
『群馬県百科事典』 上毛新聞社 上毛新聞社 昭和54 1979
日本歴史地名大系〈10〉
『群馬県の地名』
尾崎喜左雄 平凡社 昭和62 1987
角川日本地名大辞典
第10巻『群馬県』
「角川日本地名大辞典」
編纂委員会
角川書店 昭和63 1988
郷土資料事典・県別シリーズ10
『群馬県─観光と旅』
人文社 人文社 平成03 1991
日本の文化地理4
『茨城・栃木・群馬』
講談社 講談社 平成03 1991
  『群馬新百科事典』 上毛新聞社 上毛新聞社 平成20 2008
『knowledgeぐんま 群馬知的探訪』 群馬県企画部広報課 群馬県 平成20 2008
『高崎千年物語』 若林徹 高崎市 平成23 2011
『上毛 吾妻郡神社小誌』 群馬縣神職會吾妻支部 群馬縣神職會吾妻支部 大正04 1915
『上野国の信仰と文化』 尾崎喜左雄 尾崎先生著書刊行会 昭和45 1970
『上野国神名帳の研究』 尾崎喜左雄 尾崎先生著書刊行会 昭和49 1974
『吾妻郡社寺誌』 西毛新聞社 西毛新聞社 昭和53 1978
『令和元年版 吾妻郡神社要項』 神社庁吾妻支部 神社庁吾妻支部 令和01 2019
『群馬県吾妻郡誌』 群馬県吾妻教育会 群馬県吾妻教育会 昭和04 1929
『原町誌』 原町誌編纂委員会 群馬県吾妻町 昭和35 1960
『あがつま太田村誌』 太田村誌編纂委員会 太田村誌編纂委員会 昭和40 1965
『あがつま あづま』 あづま村誌編纂委員会 あづま村誌編纂委員会 昭和40 1965
『あがつま坂上村誌』 坂上村誌編纂委員会 坂上村誌編纂委員会 昭和46 1971
『長野原町誌』上下巻 長野原町誌編纂委員会 長野原町 昭和51 1976
『中之条町誌』第1-4巻 中之条町誌編纂委員会 中之条町 昭和51

昭和58
1976
-
1983
『なかのじょう地域散歩』 中之条町教育委員会 中之条町教育委員会 平成31
令和02
2019
2020
「吾妻資料集録」復刊版 上巻   (一財)群馬地域文化振興会 昭和24
令和01
1949
2019
   『吾妻記』 著者不詳(一説では林理右衛門) 刊年不詳
   『吾妻軍記』 圓聖法印   刊年不詳
   『吾妻古戦録』 著者不詳(一説では林理右衛門) 刊年不詳
   『原町岩櫃城記録』 著者不詳(圓聖法印と推定) 天和03 1683
   『吾妻傳説』 著者不詳   刊年不詳
   『吾妻郡略記』 上原政右衛門代完   元禄〜享保 1695-1722
   『吾妻太郎記』 著者不詳   天正年間 1573-1592
「吾妻資料集録」復刊版 下巻   (一財)群馬地域文化振興会 昭和24
令和01
1949
2019
   『天明浅間山津波實記』 富澤久兵衛   天明03 1783
   『浅間山焼出し大變記』 義珍法印   天明03 1783
   『再編吾妻記』 圓聖   享保05 1720
   『修験岩櫃記』 圓聖   元禄〜享保 1688-1736
   『吾妻古城記』 著者不詳   天保07 1836
   「古文書」数点     天正年間 1573-1592
『上野国郷帳集成』 丑木幸男 群馬文化事業振興会 平成04 1992
   『寛文八年上野国郷帳』        
   『元禄十五年上野国郷帳』        
   『上野国御改革組合限地頭性名并村名郡附帳』    
   『天保五年上野国郷帳』        
   『旧高旧領取調帳 上野』        
『日本城郭全集 全10巻』 井上宗和 日本城郭協会 昭和42 1967
『吾妻郡城壘史』 山崎一, 山口武夫 西毛新聞社 昭和47 1972
日本城郭大系 4
『茨城・栃木・群馬』
阿久津久・峰岸純夫・山崎一ほか 新人物往来社 昭和54 1979
『関東の名城を歩く 北関東編』
茨城・栃木・群馬
峰岸純夫・斎藤慎一 吉川弘文館 平成23
平成29
2011
2017
『信濃をめぐる境目の山城と館 上野編』 宮坂武男 戎光祥出版 平成27 2015
県史10
『群馬県の歴史』
西垣晴次・山本隆志・丑木幸男 山川出版社 平成09
平成25
1997
2013
           
街道の日本史16
『両毛と上州諸街道』
峯岸純夫・田中康雄・能登健 吉川弘文館 平成14 2002
街道の日本史25
『北国街道 東北信濃と上越』
古川貞雄・花ヶ前盛明 吉川弘文館 平成15 2003
『交流の地域史 ―群馬の山・川・道―』 地方史研究協議会 雄山閣 平成17 2005
           
シリーズ「遺跡を学ぶ」
『東アジアに翔る上毛野の首長』
大塚初重・梅澤重昭 新泉社 平成29 2017
『東国文化副読本』 群馬県
群馬県歴史文化遺産発掘活用発信実行委員会
平成31 2019
「常設展示解説図録」 中之条町歴史と民俗の博物館「ミュゼ」 平成25 2013
『榛名の歴史』 幽々山人・赤蛙仙子 群馬県室田町 明治38 1905
みやま文庫7
『榛名と伊香保』
みやま文庫 みやま文庫 昭和38 1962
みやま文庫10
『群馬の古城阯』
みやま文庫 みやま文庫 昭和38 1962
みやま文庫23
『上毛古戦記』
山崎一 みやま文庫 昭和40 1965
みやま文庫36
『中仙道』
相葉伸 みやま文庫 昭和45 1970
みやま文庫41
『上州の諸街道』
相葉伸 みやま文庫 昭和46 1971
みやま文庫77
『群馬の墓めぐり 市部篇』
萩原進 みやま文庫 昭和55 1980
みやま文庫79
『群馬の墓めぐり 郡部篇』
萩原進 みやま文庫 昭和55 1980
真田町文化財調査報告書
『大笹街道』
真田町教育委員会 真田町教育委員会 昭和57 1982
ぐんま歴史新書2
『岩櫃城風雲録―戦国史話』
関怒濤 吾妻書館 昭和57 1982
『榛名町の伝説』 樋口秀次郎 榛名町広報委員会 昭和58 1983
『増補改訂版 浅間山風土記』 萩原進 煥乎堂 昭和59 1984
みやま文庫97
『真田氏と上州』
唐沢定市 みやま文庫 昭和60 1985
みやま文庫116
『群馬の山の文学』
小暮理太郎・深田久弥ほか みやま文庫 平成2 1990
みやま文庫117
『諸国道中商人鑑』
萩原進 みやま文庫 平成2 1990
みやま文庫118
『烏川の源流』
小林二三雄・飯島靜男 みやま文庫 平成3 1991
みやま文庫143
『上野武士団の中世史』
久保田順一 みやま文庫 平成8 1996
『赤城山の文学碑』 五十嵐誠和・柳井久雄 上毛新聞社 平成9 1997
みやま文庫152
『吾妻史帖』
唐沢定市 みやま文庫 平成10 1998
群馬伝説集成1
『吾妻の伝説』
脇屋真一 あかぎ 平成10 1998
『群馬の名水をたずねて』 月間上州路編集部 あさを社 平成14 2002
下仁田自然学校文庫1
『下仁田ネギ ―ネギの来歴を追って―』
里見哲夫 下仁田自然学校 平成15 2003
みやま文庫179
『群馬の峠』
須田茂 みやま文庫 平成17 2005
『中之条町の文化財』 中之条町教育委員会 中之条町教育委員会 平成15
令和03
2003
2021
第14回特別展
『はるな30年物語』
高崎市等広域市町村圏振興整備組合立
かみつけの里博物館
かみつけの里博物館 平成18 2008
『たけやま』 唐澤定市・奈良秀重 山里テーマパーク部会 平成19
平成28
2007
2016 
『ぐんまの伝統食』 上毛新聞社出版メディア局 上毛新聞社 平成20 2008
『中之条町の石造物』 中之条町教育委員会 中之条町教育委員会 平成20 2008
沢渡温泉史 唐澤定市 沢渡温泉組合 平成20 2008
『群馬の小さな温泉』 小暮淳 上毛新聞社 平成22 2010
戦国史
上州の150年戦争
  上毛新聞事業局出版部 平成24 2012
群馬県石造文化財総合調査報告書
上州の近世石造物(一)
「道祖神と道しるべ」
群馬県教育委員会 群馬県教育委員会 令和01 2019
群馬県石造文化財総合調査報告書
上州の近世石造物(二)
「庚申塔と月待・日待塔」
群馬県教育委員会 群馬県教育委員会 令和01 2019
『広報なかのじょう ふるさと再発見』 中之条町教育委員会 中之条町教育委員会 令和02 2020
『利根の里山』 後藤信雄 上毛新聞社 令和03 2021
『戦国人 ―上州の150傑―』 群馬県立歴史博物館 上毛新聞社 令和03 2021
『戦国上野衆事典』 久保田順一 戎光祥出版 令和03 2021
           
『群馬県の山と高山植物』 小林二三雄・堀正一 上毛新聞社 昭和54 1979
『群馬の山』1
尾瀬・武尊・渡良瀬川流域
群馬県山岳連盟 上毛新聞社 昭和62 1987
『群馬の山』3
上信・妙義荒船・西上州
群馬県山岳連盟 上毛新聞社 昭和64 1988
『群馬の山』2
奥利根・上越・県央
群馬県山岳連盟 上毛新聞社 平成01 1989
『群馬の山歩き130選』 安中山の会 上毛新聞社 平成03
平成26
1991
2014
フィールドガイド日本の火山@
『関東・甲信越の火山T』
佐々木実・奥野充・筒井正明・竹本弘幸・早田勉・早津賢二
高橋正樹・小林哲夫
築地書館 平成10 1998
歴史文化ライブラリー166
『浅間山大噴火』
渡辺尚志 吉川弘文館 平成15 2003
『なるほど赤城学』
赤城山の自然と歴史・文化
栗原久 上毛新聞社 平成19 2007
『ぐんま百名山 まるごとガイド』 横田昭二 上毛新聞社 平成19
平成28
2007
2016 
『なるほど榛名学』
榛名山をとことん知ろう
栗原久 上毛新聞社 平成21 2009
分県登山ガイド09
『群馬県の山』
太田ハイキングクラブ 山と渓谷社 平成28 2016
『群馬の川』 斎藤叶吉・山内秀夫 上毛新聞社 昭和54 1979
地学ハンドブックシリーズ17
『かぶら川の石図鑑』
下仁田自然学校
鏑川の石図鑑編集委員会
地学団体研究会 平成17 2005
北関東川紀行U
『鬼怒川・小貝川・渡良瀬川』
栗林芳實・東敏雄 随想舎 平成21 2009
北関東川紀行V
『利根川』
栗林芳實・東敏雄 随想舎 平成23 2011
『吾妻渓谷見て歩き』 浦野安孫 上毛新聞社 平成26 2014
『鎌倉・室町人名事典』 安田元久 新人物往来社 昭和60 1985
『室町幕府守護職家事典』上・下 今谷明, 藤枝文忠 新人物往来社 昭和63 1988
『南北朝武将列伝 南朝編』 亀田俊和、生駒孝臣 戎光祥出版 令和03 2021
『南北朝武将列伝 北朝編』 亀田俊和、生駒孝臣 戎光祥出版 令和03 2021
           
           

  

 
 

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