ところが平成の大合併で、その周囲に「山梨市」「甲斐市」「甲州市」「中央市」が乱立した。これはちょっとひどいと思う。 この諏訪大神社があるのはこのうち「甲州市」であるが、大合併以前は「塩山市」だった。これが勝沼町などと合併して甲州市と改めたものである。一帯はブドウや桃の果樹園が広がり、勝沼ワインなども知名度があるのだが、塩山市側としては「勝沼市」はダメだったのだろう。「塩山」に全国的な知名度があったとは思い難いが・・・。
この話が史実であるかどうかはわからないが、計算上、最初に通りがかった1054年には源義光は9歳であった。義光は兄と歳が離れており、前九年の役には参戦していない。しかし神社を建立した1062年には17歳になっており、元服済みだろうから、ありえない話ではない。 ずっと後になって、後三年の役が起きると長兄の義家は秋田で苦戦した。それを聞いた義光は、京の都の官職を辞し、個人の身分で兄を助けに行った。義家はこれに感激し、義光を副将軍とした源氏軍は後三年の役を勝利することになる。 源義光はのちに甲斐守となって、その子孫からは武田氏をはじめ、小笠原氏(信濃国主)、南部氏(のちに東北地方に移って南部藩をつくる)、板垣氏、佐竹氏などの祖となった。 ![]() 諏訪大神社からすぐのところにある。社殿は朱塗りの垣根が目を引く。 ![]() ![]() 裏手には杉の巨木があった。 巨木すぎてどう撮影していいかわからない。 ![]() ![]() 訪問日はとにかく真夏だった。駅から給水なしで1時間以上歩き、暑かった。 これは神社前のひまわり。 【山梨県神社庁データ】
【参考資料】 ![]() ![]() 【リンク】 *山梨県神社庁(白鬚神社) *甲斐の神社(白鬚神社) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
参拝日:2010年07月28日 |