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山梨県

甲州市

旧塩山市 山梨郡 甲斐国
白鬚神社 -
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村社
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甲斐国主の武田氏や信濃国主の小笠原氏の祖になった新羅三郎義光が建立したという神社。

塩山

 山梨県の旧国名は「甲斐国」で、その首府が「甲府市」である。
 ところが平成の大合併で、その周囲に「山梨市」「甲斐市」「甲州市」「中央市」が乱立した。これはちょっとひどいと思う。
 この諏訪大神社があるのはこのうち「甲州市」であるが、大合併以前は「塩山市」だった。これが勝沼町などと合併して甲州市と改めたものである。一帯はブドウや桃の果樹園が広がり、勝沼ワインなども知名度があるのだが、塩山市側としては「勝沼市」はダメだったのだろう。「塩山」に全国的な知名度があったとは思い難いが・・・。 

所在

山梨県甲州市塩山三日市場2289
(山梨県塩山市三日市場)

創建

祭神

猿田彦命(さるたひこのかみ)
天宇受女命(あめのうずめ)
猿田彦は、神々が天上界(高天原)から現世界(芦原中国)に降臨する際に、道案内をした神である。もとは伊勢の五十鈴川付近に住んでいたとされており、伊勢神宮の近くに猿田彦神社が鎮座する。全国の猿田彦神社・白鬚神社(白鬚明神)の祭神であり、天狗の姿をしているとも言われる。アメノウズメは降臨のときに猿田彦に出会い、猿田彦に対してお前は何者だと問い質した。アマテラスが岩戸に隠れた際に、扉の前で踊ったことでよく知られる女神でもある。

 ▲塩山から北を望む。あの山々の向うには武蔵国がある。
 前九年の役は、大和朝廷VS東北地方の豪族・安倍氏の戦役である。「奥六郡」(宮城県から青森県の一帯)の支配者安倍氏は、形式的には大和朝廷に臣従して朝貢していたが、実際には奥六郡は朝廷の力の及ばない地だった。陸奥守として派遣されていた藤原登任はこれを無理矢理武力で従わせようとして、鬼切部の戦いで惨敗し、朝廷に更迭された。まもなく後冷泉天皇による大赦があり、安倍氏はこの衝突の責を問われなかった。
 登任にかわって1051年に陸奥守に任命されたのが、源氏の嫡流、源頼義である。頼義は八幡太郎義家(のちの源氏の棟梁)、次郎義綱、新羅三郎義光らを伴って京から陸奥国へ赴任した。
 源頼義の狙いは、源氏の手で安倍氏討伐を成功させて源氏の力を朝廷に認めさせ、豊かな陸奥地方を支配下におくことにあった。しかし攻めかかる口実がなく、数年のあいだ頼義は陸奥と都を行ったり来たりした。その間、1054年に陸奥へ下向するときには、甲斐路を通ったのだという。
 西からやってきて、諏訪を通り、笛吹川やその支流に沿って塩山の北の山を越えると古代の関東地方の有力地である秩父に出る。これを秩父往還という。源頼義一行はこの道を往こうとしたようだが、塩山の山中で夜道に迷ったのだという。すると、何処からか鈴の音が聞こえて導く者があった。翌朝になってみると、そこに松の木があり、白い布(水干)が懸かっていた。
 数年後、義光は再び此処を通り、松の木があった場所に道案内の神様である猿田彦命を祀る神社を建立したのだという。 
 ▲恵林寺の境内

 この話が史実であるかどうかはわからないが、計算上、最初に通りがかった1054年には源義光は9歳であった。義光は兄と歳が離れており、前九年の役には参戦していない。しかし神社を建立した1062年には17歳になっており、元服済みだろうから、ありえない話ではない。

 ずっと後になって、後三年の役が起きると長兄の義家は秋田で苦戦した。それを聞いた義光は、京の都の官職を辞し、個人の身分で兄を助けに行った。義家はこれに感激し、義光を副将軍とした源氏軍は後三年の役を勝利することになる。

 源義光はのちに甲斐守となって、その子孫からは武田氏をはじめ、小笠原氏(信濃国主)、南部氏(のちに東北地方に移って南部藩をつくる)、板垣氏、佐竹氏などの祖となった。


諏訪大神社からすぐのところにある。社殿は朱塗りの垣根が目を引く。




裏手には杉の巨木があった。
巨木すぎてどう撮影していいかわからない。




訪問日はとにかく真夏だった。駅から給水なしで1時間以上歩き、暑かった。
これは神社前のひまわり。

【山梨県神社庁データ】
名称 白鬚神社 No

 

所在 山梨県甲州市塩山三日市場2289 TEL
FAX
例祭日 4月12日
社格 村社
祭神 猿田彦命
天宇受女命
交通 JR中央本線「塩山」駅から徒歩約33分 または 「東山梨」駅から徒歩約28分
社殿
境内  193坪    
氏子世帯 110戸 崇敬者数 
摂末社
備考 

西暦 元号 和暦 事項 備考
             
1054 天喜 2     奥州の安倍氏討伐に向かう途中、源義光が当地を訪れる。  
1062 康平 5     源義光が当地に白髭神社を建立。  
             
1582 天正 10     織田軍が甲斐へ侵攻、武田氏滅亡。
恵林寺ともども焼かれ、古文書を喪失。
 
             
     

【参考資料】
『日本歴史地名大系 山梨県の地名』(平凡社、1995)
『山梨県地名辞典』(角川書店、1984)

【リンク】
*山梨県神社庁(白鬚神社)
*甲斐の神社(白鬚神社)



参拝日:2010年07月28日
追加日:2017年03月10日

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