全国神社仏閣図鑑 TOPページへ戻る
長野県

上田市

塩田町 小県郡 信濃国
泥宮 -
-
-
-
-
塩田平の稲作と養鯉の発祥の地。

上窪池

千曲川の中流に上田市というところがある。真田幸村の故郷として知られている土地だ。真田氏が徳川の大軍を翻弄したことで有名な上田城は、千曲川の北岸にある。一方、南岸には小規模な盆地があって、塩田平と呼ばれている。その歴史はびっくりするぐらい古く、古代に起きた壬申の乱のときに、乱を制した天武天皇がここに遷都しようとしたという話があるほどだ。

所在

長野県上田市上本郷字上窪

創建

祭神


 塩田平は千曲川の左岸にある小さな盆地状の平地である。千曲川をはさんで対岸の地区とあわせて、古くは「小県(ちいさがた)」と呼ばれていた。

 この平野部は大昔は湖だった。今でも塩田平の土を3-4m掘り返すと、湖底で形成された堆積層が出てくる。

 この古代湖を、産川と、その支流である尾根川、湯川、浦野川などが運んだ土砂が埋めてゆき、いまのような姿になった。沖積扇状地である。

 このあたりは日本でももっとも内陸に位置しており、一年を通じて雨が少ない。年間降水量はだいたい850mmぐらいである。

 これがどのぐらい少ないかというと、日本全体の平均値が1537mmで、南九州では2500mm以上だし、砂丘が広がる鳥取県ですら1900mmある。ここの2倍以上だ。しょっちゅう渇水でうどんが茹でられないと騒いでいる香川県ですら年間1200mm以上の降水量がある。長野県の平均が900mmで全国最下位なのだが、塩田平はそれを下回っている。

しかも、これらの河川の水源は塩田平に比較的近い場所にあり、集水域が大して広くない。そのため、川の水量はさほど多くないのだ。

 だから、塩田平には無数の灌漑用溜池がつくられている。

 ▲初夏の塩田平

 塩田平一帯は、いまは長野県上田市の一部である。かつては「小県郡塩田町」だったのが、高度成長期の昭和45年(1970年)に上田市に編入合併になったものだ。平成の大合併で「○○町」が「△△市」に編入された場合、住所では「△△市○○町ほにゃらら」のように旧町名をそのまま残しているところが多いが、塩田町の場合には、「塩田」という名前は住所からは消えてしまっている。(平成の大合併で上田市に編入になった旧真田町の場合には、いまは「上田市真田町ほにゃらら」のように、旧称を残している。)

 しかし、塩田平を縦走する上田電鉄別所線の駅名には、いまも「塩田町」が残っている。 

 この駅は、かつての塩田町の町役場があったあたりの最寄り駅だ。

 というわけで、かつての塩田町の中心街をゆく。


あたりには郵便局とかもあり、いかにも町の中心という感じがする。

店名も「上本郷」だし、「本郷」ってことは郷の中心地、ということだ。

そんななか、興味をひいたのがこれ。八十二銀行の塩田支店。

なんと、ATMのドライブスルーがある。すごい車が並んでいた。

ドライブスルーでお金を引き出せるというのは先進的と思った。かっこいい。
私が塩田でドライブスルーATMを目撃したのは2009年。

なんだけども、2017年の今、あらためて調べてみたら、長野県はドライブスルーATM王国だったそうだ。


なんと長野県民は、「え?ドライブスルーでお金下ろすのって普通じゃね?」
と思っていたらしいが、ドライブスルーATMの設置台数は長野県が全国1位。
だった。

過去形。

残念ながら、そのドライブスルー用のATMを開発するメーカーが日本に1社しかなく、
そのメーカーが開発をやめちゃったそうだ。理由は、全然売れないから。
そんなわけで、メンテや更新もできなくなって、
2017年のいまはドライブスルーATMは長野県から姿を消しているんだって。
この交差点名が「塩田支所前」となっていることからわかるように、
ここはかつての塩田町役場、合併後の上田市役所塩田支所がある場所。

町の行政の中心地だ。

旧町役場をすぎて100mほどいくと、塩田平の中心河川、産川が流れている。
「産川」をどう読むかだが、「さんがわ」とする文献と「うぶがわ」とする文献がある。


 冒頭で書いたように、このあたりは川の水量が少ない。
 どのぐらい少ないかというと、こんな感じ。



これが梅雨時の状態。前日、前々日にも雨が降ってこれ。

ちなみに、この産川が注ぐ千曲川の当日の様子はこう。濁流。

写真の場所は、上田電鉄別所線が千曲川を渡る鉄橋なので、
全くおなじ地域といっていいんだけど、これぐらい川の様子が違う。

川の土手には道祖神の碑があった。



向こうに見えている山が独鈷山。

 この橋を渡ると「上本郷」地区に入る。

 平安時代中期(931年頃)に編纂された『和名類聚抄』では、産川流域=今の塩田平は、「安宗(あそ)郷」と呼ばれていた。九州の阿蘇地方の氏族が大和朝廷から信濃国司として派遣されて住み着いたことからその名があるのだという。なかでもこのあたりを本郷というのは、古代の安宗郷の頃からここがおおもとの集落だったからだと考えられていて、る。

 本郷は産川沿いに開墾されて次第に発展して広がっていき、下流側に新田が築かれた。そうなると、もともとの集落地を「上本郷」、新田に形成された集落地を「下本郷」というようになった。

 信濃国を代表する神社として諏訪大社がある。6年に一度の御柱祭で有名だ。塩田平の中心神社である生島足島神社は、かつては諏訪大社に次ぐ社格を誇っていたお宮で、ここでも御柱祭がある。その御柱祭では塩田平の各地区が順番に参加するのだが、上本郷地区はその第一座を任されている。そのことが、上本郷地区が塩田平でもっとも最初の地であることを示しているという。


しばらく上本郷の住宅街を進むと、細い道の分岐があり、細い方へ行くように指示がある。



この土手を登ると池が見える。


これが上窪池。



この上窪池の岸辺に泥宮(泥宮神社)がある。
泥宮の由緒

 泥宮という名は御神体として崇めたところに由来するといわれる
 泥は稲を育てる母として古来申請なものとされてきた。泥宮はその古代からの祖先の習俗を伝える宮として、きわめて貴重な存在である。
 古代塩田(安宗部)の中心本郷の地にこの社がある点は、特に重視しなければならない。
 この社を名社生島足島神社の旧跡と伝えるのも、またむべなりというべきであろう。

昭和五十九年九月
上本郷自治会

 と、いうわけで、このお社の御神体は目の前にある池である。もう一度見てみよう。


 この池は「上窪池」という。小字も上窪だ。

 「上窪池」という呼称は、江戸時代に池の修繕をしたとき以降の呼び方で、それより以前には「泥池」と言っていた。泥池は自然の湿地と沼をもとにつくられたらしく、古代の稲作の名残りを留めているという。言うまでもなく、泥は水田そのものであり、稲を育むものでもある。水が乏しいこのあたりで、いつでも自然に泥が維持されているこの場所は貴重だったのだろう。だからこの神社の御神体は、大地そのもの=泥なのである。


看板にもあったように、この泥宮こそ塩田平の稲作の発祥の地であり、生島足島神社はもともとここにあったのではないか、という説もある。

泥宮の近くからは弥生時代後期の土器が多数出土しており、生島足島神社が実際にここから遷座したかどうかはともかく、ここが古くから祭祀の場所だったことは間違いない。


この写真をよくみていただくと、鳥居の左側の柱の向こうに写っているのだが、
境内に石碑がある。

これが「塩田鯉発祥の地」の石碑だ。
この上窪池は、塩田平での鯉の養殖が初めて行われた場所なのである。


産川の水が少ないことからもわかるように、塩田平は本来は水の乏しい地域だった。
古代から水の確保が問題だった。だから泥池のように、無数の溜池が作られてきた。
それでも明治や大正時代には渇水に苦しんだのだという。

大正末期に遂に、塩田平の外側、東の二ツ木峠の山向うを流れる依田川から水を引こうということになった。そちらの川筋の村々の反対もあって計画はなかなか実現せず、20年かかって送水管の整備が実現した。これによって塩田平は豊かな水郷地帯に姿を変えた。


そうなってみると、古来から営まれてきた数多くの溜池が余るようになってきた。そこで新たな取組として始まったのが養鯉である。

鯉の養殖というと、北陸で盛んな錦鯉の養殖をイメージする方も多いだろう。芸術品とまで呼ばれる錦鯉は、ときには数十万とか数百万の価格で取引されている。しかし、塩田平で養殖される鯉はそういうものではない。食べるのだ。

鯉を食べたことはあるだろうか。海に囲まれた日本では、新鮮な魚が豊富である。清流も多いので、イワナだとかアマゴだとかアユだとかの川魚も美味い。しかし鯉はどうだろう。鯉は逞しい魚であり、汚れた水でも棲息できる。だから都市部のドブ川にも鯉はいる。だがまさかあれを食べようと思う人はいないだろう。

しかし長野県には海がない。日本のどの県よりも海から遠い。だから貴重なタンパク源として鯉を食べる。と言っても、まさかそこいらの汚い池やドブの鯉を捕まえてきて食べるわけではない。ちゃんと食用に養殖した鯉なのだ。だから、超美味いのだ!高級食材だ!


 この養鯉を最初に取り組んだのがこの上窪池(泥池)である。ここでの成功を期に、塩田平の鯉は「塩田鯉」として有名になった。どのぐらい有名になったかというと、昭和40年に当時の皇太子殿下(のちの平成天皇)が視察に来たことがあるのである。


【長野県神社庁データ】
名称 泥宮(泥宮神社) No

 

所在 長野県上田市上本郷 TEL
FAX
例祭日
社格
祭神
交通
社殿
境内     
氏子世帯 崇敬者数 
摂末社
備考 

西暦 元号 和暦 事項 備考
             
     

【関連寺社】
*生島足島神社


【参考資料】
 『信州の鎌倉―塩田平古寺巡礼』(クリエイティブセンター、1979)
 『信州のまほろば 塩田平とその周辺』(令文社、1972)
 『信州の鎌倉塩田平の文化と歴史―塩田とその周辺の文化財を探る』(信毎書籍出版センター、1983)
『県史20 長野県の歴史』(山川出版社、1997、2010)
『長野県 地学のガイド』(コロナ社、1979、2001)
『長野県百科事典』(信濃毎日新聞社、1974、1981)
『長野県の歴史散歩』(山川出版社、2006、2011)
『長野の大地見どころ100選』(ほおずき書籍、2004)
『長野県の山』(山と渓谷社、2010、2015)
『長野県地名辞典』(角川書店、1990)
『見る知る信州の自然大百科』(郷土出版社、1997)
『信濃の橋百選』(信濃毎日新聞社、2011)

【リンク】
*発祥の地コレクション(塩田鯉)
*上田情報蔵(上窪池と泥宮神社)
* 川とわたしたち(塩田の用水)
*オコジョの散歩道(塩田平 古代の夢?T泥宮神社)


参拝日:2005年08月01日
追加日:2017年03月07日

TOPページへ戻る