全国神社仏閣図鑑 |
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別表神社 |
「神武天皇が建てた」という桁違いの歴史がある神社。 |
宮崎県というのは日本神話の代表的な舞台のひとつで、この神社も「神武天皇の宮殿跡」的な伝承がある。まともにいくと紀元前660年ごろ、つまり2600年ぐらいの歴史があるということになり、北海道の神社が束になってかかってもお話にならないようなレベルの歴史を持っている。そもそも「宮崎神宮駅」というJR駅がある時点でかなわない。
所在 |
宮崎県宮崎市神宮二丁目4-1 |
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創建 |
不詳 紀元前? |
祭神 |
神日本磐余彦尊(神武天皇) |
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神武天皇は初代の天皇である。史実として実在したかどうかはさておき、神武天皇の事蹟は『日本書紀』『古事記』に残されている。
日本の神話によると、最初に天地開闢とイザナギ・イザナミによる国産み・神産みが行われる。それから、出雲や因幡を舞台にした、オオクニヌシによる「葦原中原」という国造りの話。その話の最後に、アマテラスの子孫であるニニギが天界から地上界におりてきて(天孫降臨)、オオクニヌシが作った国を譲り受ける。このニニギの子孫がイワレヒコ(のちの神武天皇)である。
あるとき、イワレヒコは東方征服を決意した。いちおう、話としては、イワレヒコは九州の日向地方(宮崎県)にいて、そこから大和地方(奈良県)を征服するための遠征軍をおこした、ということになっている。イワレヒコの遠征軍は、宮崎から福岡へ行き、そこから瀬戸内海を通って、吉備の国(岡山)を経由しながら紀伊半島を目指した。大阪で上陸しようとしたが地元民の激しい抵抗にあい、兄が戦死する。上陸をあきらめた遠征軍は、紀伊半島の沖合を通って熊野方面へ出る。熊野上陸後、激戦と陰謀を繰り返しながら吉野にたどりつき、地元の武装集団をすべて切り従え、橿原宮で神武天皇として即位、王朝をひらいた。この即位日が紀元前660年1月1日とされている。これを新暦になおしたのが2月11日の建国記念の日だ。
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宮崎神宮は、もともとは神武天皇が住んでいた宮跡なんだという。神武天皇というのは要するに初代天皇であり、即位したのは紀元前660年とされている。紀元前660年頃の世界は、地中海世界ではアッシリアが全盛期を迎え、中国は春秋時代である。ギリシアの都市国家が栄えたりローマの繁栄が始まるよりも1世紀ほど前の時代だ。
神武天皇の父親は「うがやふきあえず」、祖父は「ほおり(山幸彦)」である。詳しくは次の血統表のとおり。
イワレヒコ
磐余彦
若御毛沼命
神倭伊波礼琵古命
神武天皇
(初代天皇) |
ウガヤキフキアエズ
鵜茅不合葺命 【記】日子波限建鵜草葺不合命
【紀】彦波瀲武盧茲草葺不合尊
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ホオリ
火遠理命
山幸彦
(やまさちひこ)
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ニニギ
瓊瓊杵尊
【記】天日高日子
【紀】天津日高彦瓊瓊杵尊
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アメノオシホミミ
天忍穂耳命
【記】正勝吾勝勝速日天忍穂耳命
【紀】正哉吾勝勝速日天忍穂耳尊
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タクハタチヂヒメ
栲幡千千姫
【記】萬幡豊秋津師比売命
【紀】栲幡千千媛萬媛命 |
コノハナノサクヤヒメ
木花咲耶姫 |
オオヤマツミ
大山積神 |
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トヨタマヒメ
豊玉姫 |
オオワタツミノカミ
大綿津見神 |
イザナギ
伊邪那岐 |
イザナミ
伊邪那美 |
?
(出雲地方の出自か?) |
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タマヨリヒメ
玉依姫
【記】玉依毘売命 【紀】玉依姫尊
※トヨタマヒメの妹 |
オオワタツミノカミ
大綿津見神 |
イザナギ
伊邪那岐 |
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イザナミ
伊邪那美 |
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?
(出雲地方の出自か?) |
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曽祖父のニニギは、オオクニヌシが築いた「葦原中原」国を受け継いだ。正確には、脅し取ったって感じだけど。この「葦原中原」国というのがどこであったかはわからないが、オオクニヌシのお話からふつうに考えると、出雲を中心に因幡までの山陰地方だったのだろう。で、そのニニギの後衛がイワレヒコである。
当時は末子相続だったようで(末子相続について詳しくは乙嫁語りを読むとよい)、イワレヒコが何人かの兄たちを従えて国の長となった。そしてあるとき、東征を思い立つのである。イワレヒコは軍を率いて瀬戸内海を東に進み、筑紫国(福岡)、吉備国(岡山)を経て関西人と戦い、多くの兄を戦いで失いつつも、最後には近畿地方で朝廷を開いたということになっている。
で、この宮崎神宮は、東征に出発する前の宮崎時代の家があった場所なんだという。神武天皇の子孫の建磐龍命が、大和国から宮崎へ下向してきた時に、父祖の神武天皇を祀るために、この地で神社を建てたという。その後、崇神天皇(BC97-BC30)の時に社殿がつくられ、景行天皇(西暦71-130)の時に造営され・・・、といった具合である。
「会津の開拓民が明治38年に建て、昭和58年に社殿を改築した」みたいなものに慣れ親しんでいる道民としては、恐るべき歴史の長さである。しかし、宮崎クラスになると、この程度の歴史や由縁では四天王の一角にすらはいらない。
なので、入り口もそんなに仰々しくない。意外とシンプルである。

正直、このクラスの大社になると、話がビッグすぎて詳しく調べる元気がおきない。

これが神社の入口。
正面に参道があり、右の朱塗りの鳥居の方には境内末社の五所稲荷がある。

赤毛のアンみたいな参道。


宮崎神宮略記とあるが、長いので省略。
公式サイトなどを参照されたし。

ここから先は下馬せよ、籠も降りろとのお達しです。

祓戸(はらえど)
お参りする前に、ここで祓詞をあげたり、お祓いを受けたりしてお清めをする場所。
だそうだ。

手水舎。
さすが、ものすごい立派。
これだけで北海道の並の神社の本殿ぐらいある。さすが大社。
これらの試練をくぐり抜けて、この先にようやく本丸がある。


でかい門。
「紀元2673年」と書かれている。
西暦では2013年だが、紀元前660年が日本の皇歴元年なので、いまは2673年ということになる。

門の向こうにまた門!
ドラクエのループ回廊か!
ここから先へ進もうと思うが

右

左

通路のたもとに石で囲まれた四角いエリアがある。
ファイナルファンタジー3だと、あそこに何かを置かないと即時全滅ゲームオーバーになりそうな予感がする。

ようやくたどり着いた拝殿スペース。
一般庶民の参詣はここまでだ。

正面に掲げられているのが「宮崎神宮」
右が祭神の「神武天皇」
左は神武天皇の両親、タマヨリヒメとウガヤフキアエズ。
もちろん皇室の祖先なので、菊の御紋がそこらじゅうにある。
すごい。
 
というわけで朱印帳と朱印をゲット。

あわせて皇宮神社の朱印もゲットだぜ!
でも帰ってから地図で見たら皇宮神社というのは宮崎神宮から1帰路ちょっと北西にあって、宮崎神宮の境内にあるというわけではなかった。
なので、参拝していないのに御朱印ゲットというチートだぜ!

これは何かイベント限定のレア物の御朱印。
もちろん要課金。

というわけでお守りゲット。
奮発して勝守とふつうのお守りの2つ。勝守のほうは漆黒、お守りの方はロイヤルブルーと白に金文字。よくみると模様が世界地図。

これはなんていうんだろう
涼しげでいい感じの夏っぽい感じでインテリアにも最適
【宮崎県神社庁データ】
名称 |
宮崎神宮 |
No |
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所在 |
宮崎県宮崎市神宮二丁目4-1 |
TEL |
0985-27-4004 |
FAX |
0985-27-4030 |
例祭日 |
10月26日 |
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社格 |
官幣大社 |
祭神 |
神日本磐余彦尊(神武天皇) |
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交通 |
JR宮崎神宮駅下車
徒歩10分 |
社殿 |
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境内 |
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氏子世帯 |
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崇敬者数 |
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摂末社 |
五所稲荷 |
備考 |
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【参考資料】
【リンク】
*公式サイト
*玄松子の記憶 宮崎神宮
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