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鹿児島県

霧島市

(旧)霧島町 姶良郡 薩摩国
霧島神宮跡 -
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活火山の霧島山腹にある旧霧島神宮跡。

霧島火山

天孫降臨の地。

所在

鹿児島県霧島市霧島田口2583-12

創建

?

廃絶

1235年1月18日(文暦元年12月28日)

 ▲霧島連山。奥に見えている頂きが最高峰の韓国岳、その手前のクレーターが新燃岳、さらに手前が中岳。
 霧島山は九州を代表する山の一つであるが、他の多くの火山がそうであるように、「霧島」もまた複数の火山の総称である。30-15万年前の古活動期と、10万年前の活動期におおよその山が形成されたが、2011年4月に新燃岳が爆発したように、今も現役バリバリの活火山である。

 いまある山の中で一番高いのは標高1700メートルの韓国岳(からくにだけ)であるが、これ自体は火山によって噴出した石や岩積み重なってできた「火山砕屑丘」であり、こいつが噴火の本体ではない。神社の信仰としては、標高1574メートルの高千穂峰があり、これは天孫降臨の地「高千穂」とされている。(同じ名前の「高千穂」が110キロほど北方の宮崎県・熊本県県境の高千穂峡であり、そっちも天孫降臨の地と言っているので、どっちがガチなのかはわからない。)
 ▲御鉢と呼ばれる火口。この火口の右の斜面のあたりに霧島神宮跡がある。
 その高千穂峰のどてっぱらに「御鉢」という、どでかい火口がある。その直径は400-500メートル。だいたい今から3000年ほど前に噴火が始まった場所だとされていて、人による記録があるだけでも過去10回以上、噴火している。

 もともと霧島神宮はこの火口の脇にあったそうだ。しかし、文暦元年12月28日(西暦1235年1月18日)、この御鉢の火口が洒落にならない噴火を起こし、神宮は完全に焼けてしまった。その結果、霧島神宮はもうちょっと離れた場所で再建されたのだが、その後も火山の噴火で焼失するということが繰り返され、今はこの火口から4キロ半ほど離れた位置にある。

 で、霧島神宮がもとあった場所には「霧島神宮跡」がある。それが今回の訪問先だ。

これが今の地形図なのだが、霧島神宮跡は「高千穂河原ビジターセンター」のちょっと右のあたりにある。地形図を見れば、御鉢が噴火したときの溶岩や火砕流が通るストライクゾーンど真ん中だということがわかる。

 火山の噴火といえば直近では御嶽山の噴火で多くの死者が出たのが記憶に新しいが、あれは2014年の秋だった。その前に噴火して毎日ワイドショーのネタになっていたのが、この霧島の新燃岳だ。
この冗談みたいな画像は、2011年2月の新燃岳噴火のマジ画像だ。(ブログ「風の便り 」より。)

私がここに行ったのは2013年6月なので、ガチ噴火から2年以上経った後のことなのだが、なんでその時期に行ったかというと2年経ってようやくほんのちょっと警戒情報が緩和されたので行ったわけで、現地はまだ噴火災害のリスクはバリバリあるますよ感がすごかった。

新燃岳、御鉢と霧島神宮跡の位置関係はこんな感じ。

新燃岳がマグマでドカンとくればどうにもならん場所にある。


これが霧島神宮跡の鳥居。
実際の「跡」はここから参道を数百メートル進んだ先にあるのだけど、
残念ながら理由があってそこまでは行けなかった。

当時は新燃岳周辺の立入禁止が一部緩和されたばかり。毎日火山情報、ガス情報、警報、注意報が出ていたのだ。

この日は雷混じりの雨。火山灰が土砂災害となる可能性もあるし、ガスに関する火山情報も発令されていて、ここから先へ進むことはかなわなかったのだ。

っていうか、

ちょっと写真じゃ伝わらないけれど、退避しなければいけないほどの土砂降り。


ちょうど、雨宿りにもってこいな感じの壕を発見。


ここはマジ噴火しちゃった場合の緊急避難用のシェルターだ。

正直このときはそこまで差し迫ったリスクを肌で感じたわけじゃないけども、
この1年後に御嶽山の噴火があるわけで、あれを見るとやっぱ火山やべーと思うよね。

ビジターセンターは霧島山の火山についてのライトな展示もあるので、それを眺めて帰った。

【鹿児島県神社庁データ】
名称 霧島神宮跡 No

 

所在 鹿児島県霧島市霧島田口2583-12 TEL
FAX
例祭日
社格
祭神
交通
社殿
境内     
氏子世帯 崇敬者数 
摂末社
備考 

西暦 元号 和暦 事項 備考
             
     

【参考資料】
 

【リンク】
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参拝日:2013年06月09日
追加日:2015年01月27日
再構成:2017年04月02日

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