もともと霧島神宮はこの火口の脇にあったそうだ。しかし、文暦元年12月28日(西暦1235年1月18日)、この御鉢の火口が洒落にならない噴火を起こし、神宮は完全に焼けてしまった。その結果、霧島神宮はもうちょっと離れた場所で再建されたのだが、その後も火山の噴火で焼失するということが繰り返され、今はこの火口から4キロ半ほど離れた位置にある。 で、霧島神宮がもとあった場所には「霧島神宮跡」がある。それが今回の訪問先だ。 ![]() これが今の地形図なのだが、霧島神宮跡は「高千穂河原ビジターセンター」のちょっと右のあたりにある。地形図を見れば、御鉢が噴火したときの溶岩や火砕流が通るストライクゾーンど真ん中だということがわかる。 火山の噴火といえば直近では御嶽山の噴火で多くの死者が出たのが記憶に新しいが、あれは2014年の秋だった。その前に噴火して毎日ワイドショーのネタになっていたのが、この霧島の新燃岳だ。
私がここに行ったのは2013年6月なので、ガチ噴火から2年以上経った後のことなのだが、なんでその時期に行ったかというと2年経ってようやくほんのちょっと警戒情報が緩和されたので行ったわけで、現地はまだ噴火災害のリスクはバリバリあるますよ感がすごかった。
![]() これが霧島神宮跡の鳥居。 実際の「跡」はここから参道を数百メートル進んだ先にあるのだけど、 残念ながら理由があってそこまでは行けなかった。 当時は新燃岳周辺の立入禁止が一部緩和されたばかり。毎日火山情報、ガス情報、警報、注意報が出ていたのだ。 この日は雷混じりの雨。火山灰が土砂災害となる可能性もあるし、ガスに関する火山情報も発令されていて、ここから先へ進むことはかなわなかったのだ。 っていうか、 ![]() ちょっと写真じゃ伝わらないけれど、退避しなければいけないほどの土砂降り。 ![]() ちょうど、雨宿りにもってこいな感じの壕を発見。 ![]() ここはマジ噴火しちゃった場合の緊急避難用のシェルターだ。 正直このときはそこまで差し迫ったリスクを肌で感じたわけじゃないけども、 この1年後に御嶽山の噴火があるわけで、あれを見るとやっぱ火山やべーと思うよね。 ビジターセンターは霧島山の火山についてのライトな展示もあるので、それを眺めて帰った。 【鹿児島県神社庁データ】
【参考資料】 ![]() 【リンク】 * | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
参拝日:2013年06月09日 |